城山キリスト教会 礼拝説教
二〇二三年六月二五日 関根弘興牧師
第一列王記二一章一七節〜一九節
二七節〜二九節
列王記連続説教8
「アハブの悔い改め」
17 そのとき、ティシュベ人エリヤに次のような主のことばがあった。18 「さあ、サマリヤにいるイスラエルの王アハブに会いに下って行け。今、彼はナボテのぶどう畑を取り上げようと、そこに下って来ている。19 彼にこう言え。『主はこう仰せられる。あなたはよくも人殺しをして、取り上げたものだ。』また、彼に言え。『主はこう仰せられる。犬どもがナボテの血をなめたその場所で、その犬どもがまた、あなたの血をなめる。』」(中略)27 アハブは、これらのことばを聞くとすぐ、自分の外套を裂き、身に荒布をまとい、断食をし、荒布を着て伏し、また、打ちしおれて歩いた。28 そのとき、ティシュベ人エリヤに次のような主のことばがあった。29 「あなたはアハブがわたしの前にへりくだっているのを見たか。彼がわたしの前にへりくだっているので、彼の生きている間は、わざわいを下さない。しかし、彼の子の時代に、彼の家にわざわいを下す。」(新改訳聖書第三版)
前回は、北イスラエルのアハブ王の時代に活躍した預言者エリヤの働きを見ていきました。アハブ王はシドンの王の娘イゼベルと政略結婚をしたのですが、そのイゼベルの影響を受けてバアル信仰を保護し、まことの神様の預言者たちを迫害しました。そんなアハブ王に向かって、エリヤは「主は生きておられる。私が『雨が降る』と預言するまでは、これから数年は露も雨も降らない」と宣言したのです。すると、すぐに大干ばつが起こり、人々は水不足と飢饉に苦しみました。その間、エリヤは烏に食糧を届けてもらったり、外国の貧しいやもめの家で粉と油が尽きることなく与えられるという不思議な経験をしていたのですが、三年経ったとき、神様の命令で再びアハブに会いに行きました。アハブにすれば、エリヤは干ばつをもたらした張本人です。国を煩わすとんでもないやからです。しかし、なんとか雨を降らせてもらわければなりませんから、エリヤの提案を受け入れることにしました。その提案とは、カルメル山の上でバアルの預言者たちとエリヤが対決して、どちらの神がまことの神様なのか決着を付けようではないかというものでした。
カルメル山にイスラエルの民とバアルの預言者たちが集められました。エリヤは言いました。「それぞれが薪の上にほふった雄牛を載せ、火を付けてはならない。それぞれが神の名を呼び求め、火をもって答える神、その方こそ神である。」そこで、まず、バアルの預言者たちがバアルの祭壇の周りでバアルの神に叫び求めました。しかし、何時間経っても何も起こりません。次に、エリヤの番です。エリヤは、薪の上にほふった雄牛を載せると、その上にあふれるほどの水を注ぎました。そして、「主よ、応えてください」と祈ると、天から火が降って来て、すべてを焼き尽くしてしまったのです。それを目撃した人々は、「主こそ神です」と言ってひれ伏しました。アハブ王は、もはや反論できません。バアルの預言者たちは処刑されてしまいました。そして、しばらくすると大雨が降り出したのです。
エリヤはカルメル山で大勝利を収めました。しかし、アハブの妻イゼベルは、それを聞いて激怒し、エリヤを殺そうとしたのです。それを知ったエリヤは、恐れて遠くの町に逃げていきました。そして、こう祈ったのです。「主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていませんから。」(19章4節)エリヤは、自分の死を願うほどのひどい鬱状態に陥ってしまったのです。人は、大活躍をした後に、突然、燃え尽き症候群に陥るということがよくあるのですね。それは、信仰とは無関係に起こるのです。そんなエリヤに、神様は「もっと強い信仰を持って頑張れ」とは言われませんでした。ひとりのみ使いを遣わして、必要な栄養と睡眠をとらせてくださったのです。そして、エリヤは、神の山ホレブに向かいました。この山は、昔、モーセが神様から十戒を与えられたシナイ山のことです。ここで、エリヤは、神様の細き御声を聞きました。そして、神様が必ず正しいさばきを行ってくださること、また、エリヤに後継者と信仰の仲間を備えてくださっていることを知ったのです。
さて、エリヤはイスラエルに戻り、自分の後継者となるエリシャを見つけました。エリシャはエリヤについて行って、エリヤに仕えるようになりました。
一方、北イスラエルの状況はどうなっていたでしょうか。
1 アラムの王ベン・ハダデの侵攻
(1)脅威
当時、北方のアラムが北イスラエルを脅かしていました。第一列王記20章には、そのアラムとの戦いの経緯が書かれています。あるとき、アラムの王ベン・ハダデは自分の支配下にあった三十二人の王たちと共に全軍勢を率いて来て、イスラエルの首都サマリアを包囲しました。彼は使者たちを遣わしてアハブに言いました。「おまえの銀と金は私のもの。おまえの妻たちや子どもたちの最も美しい者も私のものだ。」なんと身勝手なことでしょう。しかし、アハブ王は「王よ。仰せのとおりです。この私、および、私に属するものはすべてあなたのものです」と答えるしかありませんでした。武力に圧倒的な差があったからです。すると、ベン・ハダデはこう要求してきました。「あすの今ごろ使者を送るので、それらのものを引き渡せ。引き渡さないなら、無理矢理奪っていく。」ひどい要求ですね。アハブ王は、すべての長老たちを呼び寄せて相談しましたが、皆「そんな要求は受け入れないでください」と訴えました。そこで、アハブはベン・ハダデに「その要求には従えない」と伝えました。すると、ベン・ハダデは「サマリヤのちりが私に従うすべての民の手を満たすほどでもあったら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように」と言ってきたのです。これは、「サマリアはちりのようにちっぽけだ。すべてを略奪しても大軍勢の自分たちには少なすぎるだろう」という意味です。「これから大軍を率いて略奪に行くぞ」と宣告したわけですね。すると、アハブはなんと、こう答えたのです。「武装しようとする者は、武装を解く者のように誇ってはならない。」つまり、「実際に戦う前に、あまり大きなことは言わない方がよい。戦いに勝ってから誇りなさい」ということです。「とらぬ狸の皮算用」という言葉がありますが、その意味と同じですね。アハブはやけっぱちになっていたのかもしれませんね。しかし、この戦いは、どう見ても勝ち目がありません。ベン・ハダデは、アハブが何を言ってもこちらの勝利は間違いないと考え、仲間たちの王たちと互いに酒を酌み交わすという余裕を見せていました。
(2)勝利
この絶体絶命の時に、アハブのもとに一人の預言者がやってきました。そして、こう言ったのです。「主はこう仰せられる。『あなたはこのおびただしい大軍をみな見たか。見よ。わたしは、きょう、これをあなたの手に引き渡す。あなたは、わたしこそ主であることを知ろう。』」なんと、神様がアハブに勝利を約束されたのです。しかし、どう見ても、アハブが立派だったからでも、主の前に正しく歩んだからでもありません。ただただ、一方的な主のあわれみによるものですね。そして、それは、この勝利によってアハブが「主こそ神である」ことを知るためだというのです。預言者は続けて主の命令を伝えました。「イスラエル各地の若いリーダーを集め、あなた自身が先頭に立って戦いをしかけなさい」という命令です。アハブは、若いリーダーと兵士たち七千二百人あまりを率いて真昼ごろ出陣しました。その時、ベン・ハダデは味方の王たちと酒を酌み交わし酔っ払っていました。まさかイスラエルが攻めてくることなどあるまいと考えていたのでしょうね。そこで、「人々がサマリアから出て来ています」という報告を聞いても、「和平のために出て来ても生け捕りにし、戦うために出てきても生け捕りにせよ」と余裕で命令しました。アハブの軍勢など物の数ではないといった感じです。完全に油断していたのです。しかし、戦いは予想外の方向に展開し、イスラエルが大勝利を収め、ベン・ハダデは馬で逃走するはめになってしまったのです。
(3)二度目の勝利
予想外の大勝利を収めたアハブのもとに、また同じ預言者がやって来て言いました。「さあ、奮い立って、これからなすべきことをわきまえ知りなさい。来年の今ごろ、アラムの王があなたを攻めに上って来るから。」
一方、戦いに敗れたベン・ハダデに対し、家来たちはこう進言していました。「彼らの神々は山の神です。だから、彼らは私たちより強いのです。しかしながら、私たちが平地で彼らと戦うなら、私たちのほうがきっと彼らより強いでしょう。」そこで、ベン・ハダデは、今度はイスラエルと平地で戦う準備を進めました。同盟関係にあった三十二人の王たちを王位から退け、その代わりに総督を任命し、馬と戦車を用意しました。そして、翌年、イスラエルと戦うためにアフェクに向かっていったのです。「アフェク」がどこにあったのか、はっきりしません。ガリラヤ湖東岸の地域だったか、あるいは、カルメル山東方のイズレエル平原にある地域だったかもしれません。対するイスラエル軍もアフェクに出陣し、アラム軍と対峙しました。しかし、アラムの圧倒的な兵力の前には、イスラエル軍は弱いやぎの群れのようにしか見えなかったのです。
すると、そのとき、一人の神の人が近づいて来てアハブに言いました。「主はこう仰せられる。『アラムが、主は山の神であって、低地の神でない、と言っているので、わたしはこのおびただしい大軍を全部あなたの手に渡す。それによって、あなたがたは、わたしこそ主であることを知るであろう。』」その預言の通りに、イスラエル軍は大勝利を収め、生き残ったアラムの兵士がアフェクの町に逃げ込むと、町の城壁が崩れアラムの兵士はその下敷きになってしまいました。
(4)アハブの失敗
さて、ベン・ハダデは、アフェクの町に逃げ込み、奥の間に隠れました。すると、家来たちは言いました。「イスラエルの家の王たちは恵み深い王である、と聞いています。それで、私たちの腰に粗布をまとい、首に縄をかけ、イスラエルの王のもとに出て行かせてください。そうすれば、あなたのいのちを助けてくれるかもしれません。」つまり、降伏して絶対服従の意志を示せば助けてもらえるのではないかと考えたのです。アハブは、ベン・ハダデの家来たちの命乞いを受け入れて、ベン・ハダデを自分の前に連れて来させ、自分の戦車に乗せました。ベン・ハダデが「私の父が以前奪い取った町々をお返しします。アラムの町ダマスコで市場を設けてくださってもいいです」と約束したので、アハブは彼と契約を結び、釈放し、返らせてしまいました。アハブは、アラムと同盟関係を結ぶことによって、じわりじわりと忍び寄ってきたアッシリアに対抗しようとしたのでしょう。しかし、この後、アラムとイスラエルの友好関係は三年間しか続きませんでした。三年後には、また両者の戦いが始まり、アハブは戦死することになるのです。
今回、アラムに二回続けて勝利できたのは、主の圧倒的な支えがあったからでした。神様は、御自分こそまことの主であることを教えるために不可能と思える状況で勝利させてくださったのです。しかし、アハブは、いつの間にか自分の手柄のように勘違いしてしまったようです。ベン・ハダデと契約を結び、最大の危機を回避できたと考えました。アハブは、主がどんな強い敵からもイスラエルを守ることがおできになるということを二回も味わったのに、安易にベン・ハダデと契約を結んでしまったのです。そんなアハブのもとに、預言者がやって来てこう告げました。「主はこう仰せられる。『わたしが聖絶しようとした者をあなたが逃がしたから、あなたのいのちは彼のいのちの代わりとなり、あなたの民は彼の民の代わりとなる。』」すると、アハブはどうしたでしょう。アハブはよかれと思って行ったことを指摘されたので、不機嫌になり、激しく怒って、サマリヤの自分の家に戻ってしまいました。預言者に指摘されてもへりくださるどころか、ふてくされてしまったのです。指導者としての資質が見えてきますね。そして、このアハブの指導力のなさを如実に示す出来事が次の21章に出てきます。
2 ナボテのぶどう畑
(1)イゼベルの計略
イズレエルにあったアハブの第二の宮殿のそばに、ナボテという人のぶどう畑がありました。アハブは、宮殿からいつもそのぶどう畑を見ていたのでしょうね。「良いぶどう畑だ。きっといろいろな野菜も育てられるだろう」と思っているうちに、その畑が欲しくなってきたのです。そこで、ナボテに頼みました。「あなたのぶどう畑を私に譲ってもらいたい。あれは私の家のすぐ隣にあるので、私の野菜畑にしたいのだが。その代わりに、あれよりもっと良いぶどう畑をあげよう。もしあなたがそれでよいと思うなら、それ相当の代価を銀で支払おう。」ところが、ナボテは、「先祖のゆずりの地であり、相続地を譲るなど、主にかけてあり得ないことです」とはっきり断りました。モーセの律法によれば、先祖からの相続地を売ることは禁じられていました。(レビ25章23ー28節、民数記36章7節)ナボテは、主を信じ従う人だったのですね。そう言われるとアハブはどうしようもありません。またしても不機嫌になり、激しく怒り、寝台に横になって、ふてくされ、食事もしようとしませんでした。自分の思うようにならないと、ふてくされて寝てしまうという人は結構いるのではないでしょうか。アハブもたびたびそういうことがあったようですね。
すると、妻のイゼベルが「あなたはどうしてそんなに不機嫌で、食事もなさらないのですか」と尋ねました。アハブがことの次第を告げると、イゼベルは言いました。「あなたはイスラエルの王ではありませんか。元気を出しなさい。私があのぶどう畑を手に入れてあげますから。」そして、彼女は悪知恵を働かせて、とんでもない行動に出ました。まず、アハブの名で手紙を書き、ナボテの町の長老たちやおもだった人々に送りました。その手紙には、こう書かれていたのです。「断食を布告し、ナボテを民の前に引き出してすわらせ、彼の前にふたりのよこしまな者をすわらせ、彼らに『おまえは神と王をのろった』と言って証言させなさい。そして、彼を外に引き出し、石打ちにして殺しなさい。」イゼベルは、ナボテがモーセの律法に従って土地を譲らないと言い張っていることを逆手にとって、モーセの律法を悪用したのです。モーセの律法には、「神をのろってはならない。また、民の上に立つ者をのろってはならない。」(出エジプト22章28節)とあります。そして、神をのろった者は石打の刑で殺されるとあるのです。(レビ24章13節-16節)ただ、そのためには、最低二人の証人が必要だったのです。そこで、イゼベルは、二人のよこしまな者に「ナボテが神と王を呪った」と偽証させるようにしたのです。聖書の言葉を、自分の欲望を満たす道具にしたわけですね。
ナボテは、偽証によって石打ちの刑にされてしまいました。しかも、この時に殺されたのはナボテだけでなかったようです。第二列王記9章26節を見ると、ナボテの息子たちも殺されたことがわかります。ナボテが死ねば、その所有地は息子たちのものになるからです。そうさせないように、イゼベルは相続権を持つ息子たちも殺すように手配していたのです。相続人のいない土地は王のものになるからです。このようにして彼女はナボテのぶどう畑を奪い、アハブはこの土地を手に入れたのです。しかし、こんなことが主のみ前で赦されるはずがありません。
(2)エリヤの預言とアハブの悔い改め
ここに預言者エリヤが登場します。ナボテのぶどう畑を取り上げようとやって来たアハブ王に対して、エリヤは神様の言葉を告げました。「主はこう仰せられる。あなたはよくも人殺しをして、取り上げたものだ。」「主はこう仰せられる。犬どもがナボテの血をなめたその場所で、その犬どもがまた、あなたの血をなめる。」そして、こう宣告しました。「今、わたしはあなたにわざわいをもたらす。わたしはあなたの子孫を除き去り、アハブに属する小わっぱも奴隷も、自由の者も、イスラエルで断ち滅ぼし、あなたの家をネバテの子ヤロブアムの家のようにし、アヒヤの子バシャの家のようにする。それは、あなたがわたしの怒りを引き起こしたその怒りのため、イスラエルに罪を犯させたためだ。また、イゼベルについても主はこう仰せられる。『犬がイズレエルの領地でイゼベルを食らう。』アハブに属する者で、町で死ぬ者は犬どもがこれを食らい、野で死ぬ者は空の鳥がこれを食らう。」以前イスラエルの王であったヤロブアムの家もバシャの家も共に絶滅しました。アハブの家もそれと同じようになる、しかも、死体が犬や鳥に食べられるという非常に厳しいさばきの言葉をエリヤは告げたのです。
アハブは、どうしたでしょうか。なんと、こう書かれています。「アハブはこれらのことばを聞くとすぐ、自分の外套を裂き、身に粗布をまとって断食をした。彼は粗布をまとって伏し、打ちひしがれて歩いた。」アハブは、北イスラエルの王の中でも最悪の王と言われた人です。妻イゼベルにそそのかされたとはいえ、それを受け入れてしまったのですから同罪です。しかし、そんなアハブもエリヤが語った主のさばきの言葉を聞いてショックを受けました。アハブは、これまでエリヤの語ったことがすべてその通りに実現したことを見てきました。ですから、今回ばかりは、ふてくされているわけにはいきません。自分の外套を裂き、粗布を身にまとって断食しました。これは悔い改めのしるしです。ただ、これまでのアハブの姿を見ると、本当に悔い改めたのだろうか、自己保身のために悔い改めるふりをしただけではないだろうかと疑いたくなってしまいますね。
しかし、主はエリヤにこう言われました。「あなたはアハブがわたしの前にへりくだっているのを見たか。彼がわたしの前にへりくだっているので、彼の生きている間は、わざわいを下さない。」この表現はとても考えさせられますね。「生きている間は、わざわいを下さない」というのは、どういうことでしょうか。
詩篇121篇7節に「主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる」とあります。でも、人は必ず死を迎えます。病気にもなるし、困難にも遭遇します。アハブもこの預言からわずか数年後に戦死してしまいます。ですから、「生きている間、わざわいがない」というのは、悪いことが一切無い、すべてが順調にいくということではないようですね。
私たちにとって最も大きなわざわいは、何でしょうか。それは、神様から切り離されてしまうこと、神様との関係が失われてしまうことだ、と聖書は教えています。ですから、神様が「わざわいを下さない」と言われるのは、「神様との関係が断ち切られることがない」という約束です。そして、その約束は、悔い改めから始まるのです。神様の方に向きを変えて神様を見上げていくとき、神様との親しい関係が回復します。主に祈り求め、賛美し、叫ぶことのできる関係です。「生きている間、わざわいを下さない」とは、こうした関係を、自らが放棄しない神様は決して無効にはなさらないということです。それは、悪い王様の代名詞のようなあのアハブのような人であっても変わりはありません。主は、恵みとあわれみに満ちたお方ですから、神様のもとに立ち返ろうとする人を、受け入れてくださるからです。私たちの人生は一人一人違います。しかし、どんな人であっても、主の方に向きを変え、主を見上げて生きていく者に対して「すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守る」と主は約束してくださるのです。