城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇二三年七月三〇日             関根弘興牧師
                第二列王記五章八節〜一九節
       
 列王記連続説教11
   「ナアマン将軍」
 
 8 神の人エリシャは、イスラエルの王が服を引き裂いたことを聞くと、王のもとに人をやって言った。「あなたはどうして服を引き裂いたりなさるのですか。彼を私のところによこしてください。そうすれば、彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」9 こうして、ナアマンは馬と戦車をもって来て、エリシャの家の入口に立った。10 エリシャは、彼に使いをやって、言った。「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよくなります。」11 しかしナアマンは怒って去り、そして言った。「何ということだ。私は彼がきっと出て来て、立ち、彼の神、主の名を呼んで、この患部の上で彼の手を動かし、このツァラアトに冒された者を直してくれると思っていたのに。12 ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか。これらの川で洗って、私がきよくなれないのだろうか。」こうして、彼は怒って帰途についた。13 そのとき、彼のしもべたちが近づいて彼に言った。「わが父よ。あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」14 そこで、ナアマンは下って行き、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。15 そこで、彼はその一行の者を全部連れて神の人のところに引き返し、彼の前に来て、立って言った。「私は今、イスラエルのほか、世界のどこにも神はおられないことを知りました。それで、どうか今、あなたのしもべからの贈り物を受け取ってください。」16 神の人は言った。「私が仕えている主は生きておられる。私は決して受け取りません。」それでも、ナアマンは、受け取らせようとしきりに彼に勧めたが、彼は断った。17 そこでナアマンは言った。「だめでしたら、どうか二頭の騾馬に載せるだけの土をしもべに与えてください。しもべはこれからはもう、ほかの神々に全焼のいけにえや、その他のいけにえをささげず、ただ主にのみささげますから。18 主が次のことをしもべにお許しくださいますように。私の主君がリモンの神殿に入って、そこで拝む場合、私の腕に寄りかかります。それで私もリモンの神殿で身をかがめます。私がリモンの神殿で身をかがめるとき、どうか、主がこのことをしもべにお許しくださいますように。」19 エリシャは彼に言った。「安心して行きなさい。」そこでナアマンは彼から離れて、かなりの道のりを進んで行った。(新改訳聖書第三版)
 
 前回は、預言者エリヤが天に引き上げられ、エリヤの働きが後継者エリシャに引き継がれた出来事を見ました。第二列王記の2章からは、エリシャを通して神様が行われた数々の不思議なみわざが記録されています。エリシャは、それらのみわざを実際に体験しながら、「主こそ生ける神である」という確信を深めていきました。その同じ生ける神様を私たちも信じ、礼拝しています。私たちは、エリシャと同じような経験はしないかもしれませんが、それぞれの人生の中で主がみわざを行ってくださっています。その主に信頼し、期待し、みわざを見させていただきながら歩んで行きましょう。
 
1 ナアマンの病
 
 今日は、第二列王記5章に書かれているナアマンに起こった出来事を見ていきましょう。
 ナアマンについては、まず、1節にこう紹介されています。「アラムの王の将軍ナアマンは、その主君に重んじられ、尊敬されていた。主がかつて彼によってアラムに勝利を得させられたからである。この人は勇士で、ツァラアトに冒されていた。」
 アラムというのは、イスラエルの北方の国で、度々、北イスラエルを攻撃、侵略している敵国です。その将軍ナアマンは、勇士でアラムの勝利に多大な貢献をし、王に重んじられているヒーローでした。ここに「主が」ナアマンによってアラムに勝利を得させられたと書かれていますね。アラムが勝利できたのは、その背後に神様の働きがあったからだというのです。しかし、ナアマンは、そのことをまったく気づかず、考えてもいなかったでしょう。自分たちの力、自分たちの頑張りで勝利ができたと思い、周りの人々もナアマンのおかげで勝利できたと考えて、ナアマンを称賛していたのです。
 しかし、ナアマンには、どうしても自分で解決できない問題がありました。ツァラアトという病に冒されていたのです。これは、重い皮膚病のようなもので、以前の新改訳聖書の訳では「らい病」と訳されていましたが、聖書に書かれているのが「らい病」、つまり、「ハンセン病」だとは特定できないので、不要な誤解や偏見を避けるために、第三版からは原語の「ツァラアト」という言葉がそのまま使われるようになりました。「ナアマン」というのは「嬉しい人」という意味があるようですが、ツァラアトに冒されて「憂いの人」になってしまってたのです。偉大な将軍になることは、準備も計算もできたかもしれませんが、病気になるのは誰にとっても計算外のことですね。
 ところで、ユダヤの社会では、ツァラアトになると、汚れた者とみなされ、社会から隔離され、町の外に住んで、人の前を通るときには「私は汚れた者です」と叫ばなければなりませんでした。肉体だけでなく、社会的にも精神的にも大きな痛みを負う病だったのです。一方、アラムの国では、重い病の一つだとしかみなされていなかったのでしょう。ナアマンは病をかかえながらも将軍として活躍し、尊敬もされていました。
 しかし、ナアマンにとっては、病を抱えて生きることは非常に辛いことだったでしょう。病の癒やしのために出来ることは何でもしたことでしょう。しかし、何をしても直りません。
 そんなナアマンに希望がもたらされました。2節ー3節にこう書かれています。「アラムはかつて略奪に出たとき、イスラエルの地から、ひとりの若い娘を捕らえて来ていた。彼女はナアマンの妻に仕えていたが、その女主人に言った。『もし、ご主人さまがサマリヤにいる預言者のところに行かれたら、きっと、あの方がご主人さまのツァラアトを直してくださるでしょうに。』」
 この娘は、敵国アラムに捕らえられ、無理矢理連れてこられました。ナアマンに恨みや復讐心を抱いてもいいはずです。しかし、この娘は、昔、先祖のヨセフがエジプトに売られて奴隷になったとき、どんな境遇に置かれても主人に忠実に仕えて祝福を受けたように、ナアマンの妻に忠実に仕えていたようです。そして、ナアマン夫妻もこの娘に良くしてやっていたのでしょう。この娘は、ナアマンの病が癒やされることを願って、エリシャのことをナアマンの妻に話したのです。
 敵国から略奪してきた娘の言葉ですから、どこまで信用できるかわかりません。しかし、藁にもすがりたい思いだったナアマンは、その言葉にかけてみようと行動を起こしました。
 
2 ナアマン、イスラエルの王のもとへ
 
 ナアマンは、すぐに主君であるアラム王のもとに行って、この娘から聞いたことを伝えました。アラムの王はナアマンを重んじていましたから、すぐに北イスラエルの王にあてた手紙を書いてナアマンに持たせ、送り出しました。この時のアラムの王はベン・ハダデ二世、北イスラエルの王はヨラムです。両国はこれまで戦いを繰り返していましたが、この時は一時的に友好関係にあったようです。しかし、ナアマンが北イスラエルに行くと捕らえられる危険があるし、北イスラエル側にとってもアラムの将軍が来るのは大きな脅威でした。
 ナアマンは、銀十タラント、金六千シェケル、晴れ着十着を持って北イスラエルの首都サマリヤに向かいました。銀が三百四十キロ、金が六十八・四キロですから、相当な額ですね。今の価格で計算すると、銀がおよそ四千万円、金は六億円以上です。それに晴れ着もあるわけですから、ナアマンは持てる限りのものを用意して、約百五十キロの道のりを出かけていったのです。
 ナアマンは北イスラエルのヨラム王に会うとすぐアラム王からの手紙を渡しました。それには、こう書かれていました。「さて、この手紙があなたに届きましたら、実は家臣ナアマンをあなたのところに送りましたので、彼のツァラアトを直してくださいますように。」ヨラム王はこの手紙を読むと、自分の服を引き裂いて言いました。「私は殺したり、生かしたりすることのできる神であろうか。アラム王は私に言いがかりをつけようとしているのだ。」ツァラアトを直せと言われても出来るわけがありませんね。ですから、ヨラムは、アラム王が出来ない要求を突きつけ、イスラエルを攻撃する口実にしようとしているのだと考えて、うろたえてしまったのです。ヨラムの頭には、預言者エリシャのことなどまったく思い浮かびませんでした。
 
3 ナアマン、エリシャのもとへ
 
 しかし、その王の様子を知ったエリシャが王に使いをやって、こう言わせました。「あなたはどうして服を引き裂いたりなさるのですか。彼を私のところによこしてください。そうすれば、彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」
 そこで、王は、ナアマンをエリシャのもとに送りました。ナアマンは馬と戦車を率いて、エリシャの家の入口に立ちました。当然、エリシャが出迎えてくれると思っていたでしょうね。しかし、使いの者が出て来てエリシャの言葉を伝えただけでした。「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよくなります。」
 ナアマンは、わざわざ百五十キロの道のりをやって来ました。病気の体ですから、辛い旅だったと思います。相当の贈り物まで用意して、やっとエリシャのもとにたどり着いたわけです。ところが、エリシャは会おうともせず、「ヨルダン川へ行って七回身を洗いなさい」と告げただけでした。将軍ナアマンのプライドは大きく傷つけられました。「なんということだ。エリシャが出て来て、主の名を呼び、この患部の体の上で手を動かしてかざして祈り、直してくれると思っていたのに、ただヨルダン川で七回身を洗えと言うだけなのか。アラムにはもっときれいで大きな川がある。そっちの川で洗ったほうがましだ」と怒って帰ろうとしたのです。
 そのとき、ナアマンのしもべたちが説得しました。「わが父よ。あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」
 人間は面白いですね。「簡単なことは馬鹿らしくてできないが、難しいことだったらやろう」という心理があるのですね。「自分の頑張りや努力がなければ、神様はそう簡単には答えてくれないだろう」と思い込んでいるのです。ナアマンは「自分にはどんな難しいことでもやる覚悟があるのに、ただ川で身を洗うだけなんて、馬鹿にしている。そんなことでいやされるわけがない」と思ったのでしょう。しかし、しもべたちに説得され、エリシャに言われたとおりにやってみました。すると、たちまちツァラアトは消え、赤ちゃんのようななめらかな肌に戻ったのです。といっても、これはヨルダン川の水に癒す力があったからではありません。ナアマンが預言者の語る主のことばに従って行動したからです。私たちに求められているのは、難しい修行や努力ではなく、語られた主の言葉を信じ、それに従って行くことなのです。時には、躊躇したり、戸惑ったり、疑ったりすることもあるかもしれません。それでも、意志をもって一歩踏み出していくときに主の約束が実現していくのです。
 ナアマンも、最初から揺るぎない確信と信仰をもってヨルダン川に入ったわけではありません。疑いや躊躇がありました。プライドを捨てる必要もありました。数々の業績を上げて人々の賞賛の的であったナアマンが、部下たちの前で病気の姿をさらし、敵国の川に身を浸すには、かなりの覚悟が必要だったかも知れません。しかし、自分も一人の弱さをもった人間であることを認め、思い切って主のことばに従ったとき、主の約束通りのことが起こったのです。
 
4 ナアマンの感謝
 
 いやされたナアマンは、エリシャの所に戻り、言いました。「私は今、イスラエルのほか、世界のどこにも神はおられないことを知りました。それで、どうか今、あなたのしもべからの贈り物を受け取ってください。」
 しかし、エリシャは言いました。「私が仕えている主は生きておられます。私は決して受け取りません。」
 エリシャは、自分はただ神様のことばを伝えただけで、ナアマンをいやしてくださったのは生ける神様だと言うことをはっきり知っていました。ですから、自分が贈り物を受ける筋合いはないとはっきり断ったのです。といっても、エリシャは、どんな時にも誰からも何ももらわなかったというわけではありません。エリシャも時に応じて贈り物や支援を受けながら、預言者の働きをしていました。しかし、今、信じたばかりのナアマンに対しては、信頼し従うべき相手は自分ではなく、生ける神様だということを、はっきりわからせる必要があったのです。
 
5 ナアマンの新たな生活
 
 すると、ナアマンはエリシャにこう願い出ました。「どうか二頭の騾馬に載せるだけの土をしもべに与えてください。しもべはこれからはもう、ほかの神々に全焼のいけにえや、その他のいけにえをささげず、ただ主にのみささげますから。」ナアマンは、イスラエルの土を持ち帰って、主を礼拝するための祭壇を築きたいと願ったのです。どこの土を使っても心から主を礼拝すればいいのですが、ナアマンは、イスラエルの土でないとだめだと思ったのですね。信仰持ちたてのナアマンらしい思いですね。
 ナアマンの礼拝の対象は、これまでとはまったく変わりました。すべてのものを創造し、治めておられる神様が礼拝の対象になったのです。アラムに帰ってからも、主の礼拝を生活の中心に据えたいと願い土を持ち帰り、祭壇を作ろうと考えたわけです。
 しかし、ナアマンには、気がかりなことが一つありました。当時は、どの国の王もいろいろな神々への祭儀と深く結びついていました。何かを決めるときも神々に伺いを立て、宗教的儀式は王が行う大切な行事だったのです。ナアマンは、これからもアラムの王に仕えていくわけですが、アラムでは、リモンという神への宗教儀式が行われていました。そこで、ナアマンはエリシャに尋ねました。「私の主君がリモンの神殿に入って、そこで拝む場合、私の腕に寄りかかります。それで私もリモンの神殿で身をかがめます。私がリモンの神殿で身をかがめるとき、どうか、主がこのことをしもべにお許しくださいますように。」アラムの将軍であるナアマンは、リモンの神殿に入り、王を支えるために王と共に身をかがめなければなりません。そこで、「この職務を続けることができるでしょうか。リモンの神を礼拝するわけではないので、許していただきたいのですが」とエリシャに尋ねたわけです。
 すると、エリシャは「安心して行きなさい」と答えました。英語だと「Go in peace」ですね。
 聖書は、まことの神様以外のものを礼拝の対象にすることがあってはならないと教えています。愛と自由を与えるまことの神様以外のものを礼拝すると、束縛され、不自由になってしまうからです。ナアマンは、信仰持ちたてでしたが、まことの神様を信じた自分にとって、アラムのリモン神を礼拝することはふさわしいことではないとわかっていました。ですから、主を礼拝する場所をきちんと定め、たとえリモンの神殿に行っても決してそこで礼拝することはしないと決心していたのです。
しかし、ナアマンは、これまでアラムで慣れ親しんできたことがどこまで許されるのか、判断ができなかったので、エリシャに相談したのです。そんなナアマンにエリシャは「アラムでしてはいけないことのリスト」のようなものを作って渡したりはしませんでした。ただ、「安心して行きなさい」と言ったのです。
 私たちもナアマンと同じようなことで判断を迷うことがありますね。日本の習慣や行事や儀式の中に宗教と結びついたものがたくさんあるからです。
そこで、大切なのは、まずは、まことの神様以外を礼拝の対象としない、という大原則をしっかりと握っておくのです。その原則の上に立って、私たちはそれぞれが自由に判断することが求められているのです。たとえば他の宗教の葬儀には出てもいいのでしょうか?出ない方が良いのでしょうか?どちらを選んでも、大原則をゆがめるのでなければ、あなたの決断に対して「安心していきなさい」なのですね。
 ただ聖書のローマ14章や第一コリント10章でパウロが記しているように、互いの益になること、お互いの徳を高めること、お互いの最善になることは何かを考えながら、それぞれ自分が良いと思うことを行っていくことが大切なのですね。
 神様を愛し、神様を信頼し生きる土台を同じにしているなら、それぞれが置かれている中で、わたしはこうしているけれど、あのひとはそうしていない、わたしはそうしないけれど、あの人はこうしている、という違う行動があるものです。しかし、互いにさばき合わないようにしましょう。それぞれ自分が良いと思うことを行い、進んでいけばよいのです。
 エリシャは、ナアマンが神様だけを礼拝して生きていこうという思いを持っているのを知っていました。ですから細かなことをひとつも言わず「安心して行きなさい」と告げたのです。
 
6 ゲハジの貪欲
 
 さて、今日読んだ5章の最後に残念な出来事が書かれています。 エリシャに仕える若者ゲハジは、ナアマンの贈り物を受け取らなかったエリシャを見て考えました。「断るなんて、なんてもったいないことをしたんだ。よし、私がもらって来よう。」ゲハジはナアマンを追いかけていき、ナアマンに嘘をつきました。「いま主人のところに預言者の仲間が二人訪ねてきました。彼らのために銀一タラントと晴れ着二着を与えてくださいと、主人のエリシャが申しております」と。ナアマンは喜んで、銀を倍の二タラント、そして晴れ着二着を与えました。ゲハジが求めた額は、ナアマンが用意していた贈り物全部に比べると控え目かもしれませんが、それでも一生楽に暮らしていける額です。ゲハジはそれを家にしまい込み、「これで俺も一生安心だ」と思ったでしょう。ゲハジは、エリシャという素晴らしい預言者に仕えているうちに高慢になり、自分にもそれなりの役得があっても当然だと思うようになっていたのかもしれません。しかし、エリシャはすべてを見抜いていました。
 神様のみまえで心の思いを隠すことはできませんね。神様は私たちのうわべはなく、心をご覧になります。まことの神様だけを礼拝していこうとする心をもったナアマンには「安心して行きなさい」ということばが与えられましたが、ゲハジは、偽りと欲望の中で大金はせしめましたが、平安から遠ざけられてしまったのです。
 私たちは、表面的な行動で人を判断したり、さばいたりすることなく、それぞれが神様への真実な礼拝の心を保ち、置かれた場所で自主的に判断しながら、安心して生活していきましょう。
 今日から一週間が始まります。「Go in peace!」