城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇二三年八月一三日             関根弘興牧師
                第二列王記九章一節〜七節
       
 列王記連続説教13
 
   「謀反と粛清」
 
1 預言者エリシャは預言者のともがらのひとりを呼んで言った。「腰に帯を引き締め、手にこの油のつぼを持って、ラモテ・ギルアデに行きなさい。2 そこに行ったら、ニムシの子ヨシャパテの子エフーを見つけ、家に入って、その同僚たちの中から彼を立たせ、奥の間に連れて行き、3 油のつぼを取って、彼の頭の上に油をそそいで言いなさい。『主はこう仰せられる。わたしはあなたに油をそそいでイスラエルの王とする。』それから、戸をあけて、ぐずぐずしていないで逃げなさい。」4 そこで、その若い者、預言者に仕える若い者は、ラモテ・ギルアデに行った。5 彼が来てみると、ちょうど、将校たちが会議中であった。彼は言った。「隊長。あなたに申し上げることがあります。」エフーは言った。「このわれわれのうちのだれにか。」若い者は、「隊長。あなたにです」と答えた。6 エフーは立って、家に入った。そこで若い者は油をエフーの頭にそそいで言った。「イスラエルの神、主は、こう仰せられる。『わたしはあなたに油をそそいで、主の民イスラエルの王とする。7 あなたは、主君アハブの家の者を打ち殺さなければならない。こうしてわたしは、わたしのしもべである預言者たちの血、イゼベルによって流された主のすべてのしもべたちの血の復讐をする。」(新改訳聖書第三版)
 
 前回は、第二列王記6章と7章に記されている3つの奇跡的な出来事を見ました。
 一つは、斧の頭が水の中に落ちて沈んでしまったのに、エリシャが一本の枝を投げ込むと斧の頭が浮いてきて無事に取り戻すことができたという出来事です。
 二つ目は、エリシャの家がアラムの軍勢に取り囲まれたときの出来事です。エリシャの召使いはうろたえ恐れましたが、エリシャは「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と言い、召使いの目が開かれるように祈りました。すると、召使いは目が開かれ、エリシャのまわりを天の軍勢が取り囲んでいるの見ることができたのです。
 三つ目は、アラム軍が北イスラエルの首都サマリヤを包囲して兵糧攻めにしたときの出来事です。サマリヤの人々は飢饉と敵の兵糧攻めで食べ物がなく、非常な飢えに苦しんでいました。しかし、エリシャは「明日の今ごろ、食べ物が豊富に与えられる」と預言しました。その夜、主がアラム軍に敵の大軍勢が攻めてくるような物音を聞かせられたので、アラムの兵士たちは何もかも陣営に残して大慌てで逃げ去ってしまったのです。翌朝、そのことを知ったサマリヤの人々は、町を出てアラムの陣営に殺到し、残された食べ物や金銀などを自由に手に入れることができました。自分たちは何もしなかったのに、一夜にして状況が一変してしまったわけですね。
 この三つの奇跡的な出来事は、どんなに行き詰まってしまっても、どんなに不可能に思えても、もう駄目だと絶望するような時にも、神様は様々な方法を用いて失われたものを取り戻し、回復し、守ってくださるということを示しています。ですから、私たちは、心の目を開いてくださいと祈り、主の偉大さを見せていただくことを求めていきましょう。
 さて、今日は次の8章から10章までを見ていきましょう。
 
1 シュネムの女
 
 まず、8章1節ー6節にシュネムの女についての出来事が記されています。この女性は、エリシャがシュネムに行くたびにもてなしてくれた裕福な女性です。子どもがいませんでしたが、エリシャの預言によって男の子が生まれました。ところが、数年後にその子が急死してしまったのです。しかし、エリシャが主に祈り求めると、その子は生き返ったのです。その出来事が第一列王記4章に書かれていましたね。その後も、エリシャはこの家族と親しくしていたようです。
 さて、8章1節で、エリシャはこの女に言いました。「あなたは家族の者たちと旅に立ち、あなたがとどまっていたい所に、しばらくとどまっていなさい。主がききんを起こされたので、この国は七年間、ききんに見舞われるから。」そこで、この女性は家族とともにペリシテ人の地に行き、そこに七年間滞在しました。ペリシテの地域は地中海沿岸の平地で、比較的肥沃だったのでしょうね。ききんが終わった七年後、彼女はシュネムに戻ってきました。しかし、自分たちが留守の間に、家と畑が他の人に取られしまっていたのです。そこで彼女は自分の家と畑を取り戻そうと王様に訴え出ました。
 ちょうどその時、イスラエルの王ヨラムは、エリシャに仕えていたゲハジから、エリシャが行った数々の奇跡の話を聞いていました。このゲハジは、アラムの将軍ナアマンの病が癒やされたとき、欲にかられて、エリシャに内緒でナアマンから贈り物を受け取って自分のものにしてしまったために、ツァラアトという皮膚病になってしまった人物です。ですから、この8章の出来事は、ナアマンの出来事の前に起こったのではないかとも考えられますし、ゲハジが反省して病を癒やされ、引き続きエリシャに仕えていたとも考えられるのです。
 さて、ゲハジは、エリシャが行った様々な奇跡的な出来事を王様に話していたのですが、ちょうどシュネムの女の死んだ子どもをエリシャが生き返らせたという話をしているとき、まさにその女が子どもを連れて王に訴えに来たのです。ゲハジは大変驚いて「王さま。これがその女です。これが、エリシャが生き返らせたその子どもです」と言いました。なんというタイミングでしょう。そこで王は、彼女の財産と彼女がいなかった七年間の畑の収穫をすべて返すよう命じたのです。
 この出来事も、前回と同様に、失ってしまったものを取り戻す、回復するということがテーマになっていますね。しかも、伝道者の書3章11節に「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」とあるように、神様は絶妙なタイミングで事を行ってくださるのです。それは大きな励ましになりますね。
 しかし、次の8章7節からは、テーマががらりと変わります。人間の高慢と罪がもたらした悲惨な出来事が次から次へと記されていくのです。
 
2 エリヤに与えられた主の言葉の成就
 
 以前、第一列王記19章で、預言者エリヤが極度に落ち込んでしまったことがありましたね。その時、エリヤは主に訴えました。「私は熱心に主に仕えてきましたが、人々はあなたに逆らうことをやめず、主に従う仲間はみな殺されてしまいました。残ったのは私だけで、私も殺されそうです」と。すると、主は「まだ七千人の仲間が残っている」と励まし、こう命じられました。「さあ、ダマスコの荒野へ帰って行け。そこに行き、ハザエルに油をそそいで、アラムの王とせよ。また、ニムシの子エフーに油をそそいで、イスラエルの王とせよ。また、エリシャに油をそそいで、あなたに代わる預言者とせよ。ハザエルの剣をのがれる者をエフーが殺し、エフーの剣をのがれる者をエリシャが殺す。」神様に逆らって悪を行い、エリヤを迫害する者たちは、アラムの王となるハザエル、北イスラエルの王となるエフー、エリヤの後継者となるエリシャによって滅ぼされると言われたのです。
 このうち、実際にエリヤが行ったのは、エリシャを後継者に任命することだけでしたが、ハザエルとエフーが王になるという主の言葉は、いよいよ今回の箇所でエリヤの後継者であるエリシャによって現実のものとなるのです。神様の言葉は必ず実現するということを旧約聖書の歴史は教えているのですね。
 
(1)ハザエル、アラムの王になる
 
 ある時、エリシャは敵国アラムの首都ダマスコに行きました。なぜでしょうか。アラムの王が病気になり、なんとかしてエリシャに来てもらいたいと願ったのかもしれません。アラムの王は、ナアマンの癒やしなど、エリシャの行った数々の奇跡を見聞きしていましたから、エリシャに期待したことでしょう。
 あるいは、以前、主がエリヤに「ダマスコに行ってハザエルをアラムの王とせよ」と言われた言葉を実行するときが来たことを、主がエリシャに示されたので、エリシャはダマスコに来たのかもしれません。
 アラムの王は、部下のハザエルに贈り物を持たせてエリシャのもとに遣わしました。ハザエルはエリシャに言いました。「あなたの子、アラムの王ベン・ハダデが、『この病気は直るであろうか』と言ってあなたのところへ私をよこしました。」以前、ベン・ハダデはエリシャを捕らえるために大軍を送ったこともあったのに、今は「あなたの子ベン・ハダデ」と言うのは、調子のいい話ですね。エリシャはハザエルに答えました。「行って、『あなたは必ず直る』と彼に告げなさい。しかし、主は私に、彼が必ず死ぬことも示された。」ベン・ハダデは病気では死なないけれど、別の原因で必ず死ぬというのです。
 そして、エリシャはハザエルをじっと見つめて、泣き出しました。そして、戸惑うハザエルにこう告げたのです。「私は、あなたがイスラエルの人々に害を加えようとしていることを知っているからだ。あなたは、彼らの要塞に火を放ち、その若い男たちを剣で切り殺し、幼子たちを八つ裂きにし、妊婦たちを切り裂くだろう。」ハザエルが「私には、そんなだいそれたことはできません」と言うと、エリシャは言いました。「主は私に、あなたがアラムの王になると、示されたのだ。」
 ハザエルはどうしたでしょう。自分の主君のところに帰って、「エリシャは『あなたは必ず直る』と言いました」と報告しました。王はほっとしたことでしょう。しかし、翌日、ハザエルは毛布を水に浸し、それを王の顔にかぶせて窒息死させてしまったのです。これまで、何度もイスラエルを苦しめてきたベン・ハダデは、部下のハザエルによって暗殺されてしまいました。そしてハザエルが彼に代わって王になったのです。ハザエルは四十年間アラムを治めましたが、その間、イスラエルを大いに苦しめることになります。それでエリシャが涙したわけですね。
 
(2)エフー、北イスラエル王国の王となる
 
 一方、北イスラエルはどうなっていったでしょうか。悪名高いアハブ王の死後、息子のアハズヤが王になりました。しかし、彼は二年後に死んでしまったので、兄弟のヨタムが王になりました。アハブ王の残忍な妻イゼベルは、息子のアハズヤやヨタムが王になってからも、王母として影響力を保ち、バアル礼拝を進め、人々を悪の道へと導いていました。アハブ家は、神様に背を向け、主の預言者たちを迫害し、多くの人々の命を奪い、自らを滅びの道へと向かわせることを行っていたのです。そのアハブ家が滅びるときがやってきました。
 
@エフーの謀反
 
 アラムの王となったハザエルと北イスラエルのヨラム王がラモテ・ギルアデで戦いを始めました。その戦いの最中、ヨラム王は負傷して、第二宮殿のあるイズレエルに帰って治療をしていました。残された将校たちがラモテ・ギルアデで戦略会議をしていると、預言者エリシャに遣わされた一人の預言者がやって来ました。彼は、将校の一人であるエフーを奥の間に連れて行き、エフーの頭に油をそそいでこう言ったのです。「イスラエルの神、主は、こう仰せられる。『わたしはあなたに油をそそいで、主の民イスラエルの王とする。あなたは、主君アハブの家の者を打ち殺さなければならない。こうしてわたしは、わたしのしもべである預言者たちの血、イゼベルによって流された主のすべてのしもべたちの血の復讐をする。それでアハブの家はことごとく滅びうせる。・・・犬がイズレエルの地所でイゼベルを食らい、だれも彼女を葬る者がいない。』」
 エフーが他の将校たちに預言者の言葉を伝えると、彼らは、大急ぎで自分の上着を脱いでエフーの足もとに敷き、角笛を鳴らして「エフーは王である」と宣言しました。彼らは、ヨラム王に対して、機会があればすぐにでも見限ってしまおうと思っていたのかも知れません。エフーのほうが王にふさわしいということで、一致して謀反を起こすことになったのです。エフーは軍勢を率いてヨラム王のいるイズレエルに向かいました。
 一方、イズレエルでは、南ユダの王アハズヤが負傷したヨラム王の見舞いに来ていました。
 北イスラエルの王ヨラムが即位したとき、南ユダの王はヨシャパテでしたが、その後、ヨシャパテの子ヨラムが王になりました。ヨシャパテは主に従う心を持った王でしたが、息子のヨラムは、北イスラエルのアハブ王の娘アタルヤを妻に迎え、なんと兄弟たちを一人残らず殺してしまったり、人々に偶像礼拝を行わせるなど、主の目の前に悪を行いました。そのため、敵に攻め込まれて財産や妻子を奪われ、最後は重い内蔵の病いを患い、わずか八年の在位の後、亡くなったのです。次に、その息子のアハズヤが南ユダの王となったのですが、母アタルヤの影響が大きく、また、アハズヤ自身もアハブ家から妻を迎えたので、主の目の前に悪を行いました。北イスラエルのアハブ家と縁を結んだために、南ユダの王たちも主に背く道を歩むようになってしまっていたのです。北イスラエルの王がアハブ、アハズヤ、ヨラムで、南ユダの王がヨシャパテ、ヨラム、アハズヤですから、名前からも親密さが感じられますね。
 さて、エフーの軍勢がやって来るのを見た北イスラエルのヨラム王と南ユダのアハズヤ王は、エフーを出迎えるためにナボテの所有地まで出て行きました。そこは、以前見たように、アハブ王と妻のイゼベルがナボテと子どもたちを殺して手に入れた土地でしたね。ヨラムが「エフー、元気か」と尋ねると、エフーは「何が元気か。あなたの母イゼベルの姦淫と呪術が盛んに行われているのに」と答えました。それを聞いたヨラムは、エフーの謀反に気づいて逃げ出しましたが、エフーの放った矢に射抜かれて死んでしまいました。南ユダの王アハズヤも逃げましたが、エフーの軍勢に追いつかれ、傷を追わされ、メギドに逃げ込みましたが、そこで命を落としたのです。アハズヤの在位期間はわずか一年でした。
 
Aイゼベルの死
 
 ヨラムを討ち取ったエフーがイズレエルに入ると、アハブの妻イゼベルが、目の縁を塗り、髪を結い直して、窓から見下ろしていました。王母として威厳を保ちたかったのでしょう。エフーを見ると、彼女は「元気かね。主君殺しのジムリ」とあざけりました。ジムリとは、以前、北イスラエルの王であったエラを謀反によって殺して王となった人物です。しかし、その治政はわずか七日間でした。つまり、イゼベルは「主人を殺したお前は、ジムリと同じ運命になるがよい」と罵倒したのです。エフーが見上げると、数人の宦官が見下ろしていたので「その女を突き落とせ」と命じました。すると、イゼベルは彼らに突き落とされ、あっけなく死んでしまったのです。イゼベルの遺体は、しばらく放置されている間に野犬に食べられ、無残な状態になってしまいました。エリシャから遣わされた預言者が語ったとおり、また、以前、エリヤが第一列王記21章23節で預言したとおりのことが起こったのです。
 
Bエフーによる粛清
 
 イゼベルが亡くなると、壮絶な粛正の嵐が吹き荒れました。 首都サマリヤにはアハブの七十人の子どもがいました。エフーはサマリヤの宮内長官、町のつかさたち、長老たち、アハブの子の養育係に対して、「アハブの子どものうちから王を選び、私たちと戦え」と手紙を送りました。アハブの次に王になったアハズヤとその次に王になったヨラムもアハブの息子でしたが、二人とも死んでしまったので、別の息子を王にしたらいいだろうというわけです。しかし、彼らはエフーを恐れ、使者を送って言いました。「私どもはあなたのしもべです。あなたが私どもにお命じになることは何でもいたしますが、だれも王に立てるつもりはありません。あなたのお気に召すようにしてください。」すると、エフーは、「アハブの子どもたちの首を明日までに私のもとに持って来い」と命じたのです。彼らは、王の子ども七十人の首をイズレエルにいたエフーのもとに届けました。エフーはそれを門の入り口に置いてさらしものにしたのです。
 また、エフーは、イズレエルに残っていたアハブの家に属する者たちを全部打ち殺してしまいました。
 エフーの行動はさらにエスカレートしていきました。首都サマリヤに向かう途中、南ユダの王アハズヤの身内の者四十二人がヨラムやイゼベルの子どもたちの安否をたずねるためにやって来たのに出会うと、彼らを皆殺しにしてしまったのです。
 そして、サマリヤに着いたエフーは、そこに残っていたアハブ家に属する者も皆殺しにしました。さらに、「私はアハブよりも熱心にバアルに仕えるつもりだ」と嘘を言ってバアルの預言者、信者、祭司たち全員をバアルの宮に集めると、全員を打ち殺し、バアルの宮を破壊して公衆便所にしてしまったのです。
 いくら悪名高いアハブ家やバアルの信者に対してとはいえ、ずいぶん無慈悲で残酷な行為に思えますね。そんなエフーに対して語られた10章30節の主の言葉を読むと戸惑ってしまうかもしれません。「主はエフーに仰せられた。『あなたはわたしの見る目にかなったことをよくやり遂げ、アハブの家に対して、わたしが心に定めたことをことごとく行ったので、あなたの子孫は四代目まで、イスラエルの王座に着こう。』」神様がエフーの行為を褒めておられるような感じの書き方ですね。たしかにエフー王朝は、この後、北イスラエルの歴史の中で最も栄えた王朝となっていきました。しかし、10章29節に「ただし、エフーは、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪、すなわち、ベテルとダンにあった金の子牛に仕えることをやめようとはしなかった」、また、31節に「エフーは、心を尽くしてイスラエルの神、主の律法に歩もうと心がけず、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪から離れなかった」と書かれています。つまり、エフーは、自分に与えられた神様の命令は手段を選ばずに行いましたが、心から神様だけをを敬い従おうとはしなかったのです。
 エフーは、信仰の名を借りて、手段を選ばない残虐な行動を行い続けたのです。後に北イスラエルが滅ぼされるときにはアッシリヤ帝国が用いられ、南ユダが滅ぼされるときにはバビロニヤ帝国が用いられましたね。それと同じように、アハブ家やバアル礼拝を滅ぼすときにエフーが用いられたという意味で、エフーは主の目にかなうことをしたとは言えます。しかし、アッシリヤやバビロニヤが主に喜ばれる正しい国だったわけではないように、エフーも主に喜ばれる正しい王様だったわけではないのです。彼の行った数々の残虐な行為がすべて正当化されるわけではないのですね。
 今回、注意すべきなのは、信仰の名を借りて自分の愚かな行いを正当化してはいけないということです。動機がよければ、どんな手段をとってもかまわないと考える人もいますが、それは、聖書全体からみれば明らかに間違っています。動機が良くても手段が悪ければ、主に喜ばれることはありません。熱心さのゆえに極端な行動を取ったり、人を傷つけても構わないというのは、主のみこころではありません。エフーはアハブ家を徹底的に滅ぼし、バアル神殿を徹底的に破壊することに熱心でしたが、肝心の主なる神様との関係は正しくありませんでした。
 教会の奉仕や活動や伝道に熱心になるのは決して悪いことではありません。しかし、愛のある配慮や知恵を用いた対応や秩序が大切なのです。熱心に行っているのだから、すべてが許されると思うなら、それは間違った熱心です。まして、主との関係が希薄になってしまったら本末転倒ですね。私たちは、みことばによって主との関係が深められ、支えられ、赦され、愛されていることを知っています。ですから、引き続き、みことばによって養われていく熱心さを持ちながら歩んで行きましょう。