城山キリスト教会 礼拝説教
二〇二三年八月二七日 関根弘興牧師
第二列王記一一章一節〜三節
列王記連続説教14
「小さな希望」
1アハズヤの母アタルヤは、自分の子が死んだと知ると、ただちに王の一族をことごとく滅ぼした。2 しかし、ヨラム王の娘で、アハズヤの姉妹のエホシェバが、殺される王の子たちの中から、アハズヤの子ヨアシュを盗み出し、彼とそのうばとを寝具をしまう小部屋に入れて、彼をアタルヤから隠した。それで、彼は殺されなかった。3 こうして、彼はうばとともに、主の宮に六年間、身を隠していた。その間、アタルヤがこの国の王であった。(新改訳聖書第三版)
前回は、北イスラエル王国でオムリ、アハブ、アハズヤ、ヨラムと続いていた王朝が、ついに将軍エフーのクーデターによって滅ぼされてしまったという出来事を見ました。最初のオムリはクーデターを起こして王になりましたが、「オムリは主の目の前に悪を行い、彼以前のだれよりも悪いことをした」と書かれています。しかし、その息子のアハブは、オムリよりもさらに酷い悪を行ったのです。しかもアハブの妻イゼベルは故郷のシドンからバアル礼拝を持ち込み、夫をそそのかして首都サマリヤにバアルの宮を建てさせたり、主の預言者たちを迫害し、欲望のまま残虐な行為を重ねました。そのアハブとイゼベルの息子であるアハズヤ王とヨラム王も悪を行いました。そのアハブ家を滅ぼしたのが、将軍エフーです。エフーは預言者エリシャからの預言を受けて、クーデターを起こし、ヨラム王やイゼベルだけでなく、アハブの一族を徹底的に滅ぼしてしまったのです。新たに北イスラエルの王になったエフーは、国中のバアルの祭司や預言者や信者を集めて皆殺しにしました。また、バアルの神殿を破壊しました。彼は、アハブ家とバアル礼拝を滅ぼすことに非常に熱心でしたが、その手口はあまりにも残酷で、手段を選ばないものでした。後の歴史をみると、北イスラエルが滅ぼされるときにはアッシリヤ帝国が用いられ、南ユダが滅ぼされるときにはバビロニヤ帝国が用いられましたね。それと同じように、アハブ家やバアル礼拝を滅ぼすときにエフーが用いられたという意味で、エフーは主の目にかなうことをしたとは言えます。しかし、アッシリヤやバビロニヤが主に喜ばれる正しい国だったわけではないように、エフーも主に喜ばれる正しい王様だったわけではありませんでした。肝心の主なる神様との関係が正しくなかったのです。このエフーの姿から、自分の愚かな行いを信仰の名で正当化してはいけないということを学びましたね。
一方、南ユダはどうだったでしょうか。
以前、第二サムエル7章16節で、主はダビデに「あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」と約束しておられましたね。これは、ダビデの子孫から救い主が誕生する約束でもありました。そのダビデによって統一国家となったイスラエルは、ダビデの子ソロモンの時代に栄華を極めましたが、その後、南北に分裂してしまいました。北イスラエル王国は、ダビデと関係のない王が治め、何度もクーデターが起こって王朝が変わりますが、南ユダ王国は、最後までダビデの血筋を守っていくことになります。
さて、以前にもお話ししましたが、北イスラエルのアハブ王の時代に、南ユダでは四代目のヨシャパテが即位しました。ヨシャパテは神様を信頼し、民の声に耳を傾ける王でした。しかし、大きな失敗をしました。北イスラエルの王アハブの娘アタルヤを息子ヨラムの妻に迎えてしまったのです。このアタルヤは母イゼベルに輪をかけたような悪女で、南ユダ王国に偶像礼拝や悪しき風習をもたらし、南ユダを悪の道に向かわせることになったのです。ヨシャパテの次に王になったヨラムは、妻であるアタルヤの影響を受けて、とんでもない悪事を行いました。その内容は第二歴代誌21章に記されています。ヨラムは自分が王になると、兄弟たちを一人残らず殺し、善良な国のリーダーたちも殺してしまいました。また、ユダの山々に高き所を作り、人々に忌むべき神々を礼拝させました。ヨラムは権力をほしいままにし、神様に逆らう悪を行ったのです。そのヨラムに対して、北イスラエルの預言者エリヤがこう書き送りました。「主は、大きな災害をもってあなたの民、あなたの子たち、あなたの妻たち、あなたの全財産を打つ。あなた自身は、内蔵の病気で大病をわずらい、日々にその病が進んで、内臓が外に出るまでになる。」その預言の通り、ペリシテ人とアラビヤ人がエルサレムに攻め込み、王宮の財産やヨラムの妻子たちを奪い去ったので、彼に残された男の子は、末子のアハズヤ(エホアハズ)だけになってしまったのです。また、ヨラムは内蔵の病気で悲惨な死を迎えました。第二歴代誌21章20節にはこう書かれています。「彼は人々に愛されることなく世を去った。人々は彼をダビデの町に葬ったが、王たちの墓には治めなかった。」なんとさみしい生涯でありませんか。権力と欲望のまま生きた彼に残されたのは「愛されることなく世を去る」ことだけだったのです。ただ、第二歴代誌21章6節ー7節にこう書かれています。「彼は主の目の前に悪を行ったが、主は、ダビデと結ばれた契約のゆえに、ダビデの家を滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫にいつまでもともしびを与えようと、約束されたからである。」
ヨラムが死ぬと、彼に残された唯一の息子アハズヤが王になりました。第二列王記22章3節には「彼の母が彼の助言者で、悪を行わせた」と書かれています。悪女アタルヤが王母として大きな影の力を持っていたのです。
ところで、前回もお話ししましたが、北イスラエルの王は、アハブ、アハズヤ、ヨラムの順で、南ユダの王は、ヨシャパテ、ヨラム、アハズヤの順です。混乱しないようにしてくださいね。
北イスラエルのヨラム王がアラムとの戦いで傷を負った時、南ユダの王アハズヤが見舞いに出かけました。すると、ちょうどその時、北イスラエルの将軍エフーがクーデターを起こし、北のヨラム王だけでなく、南ユダのアハズヤ王も殺してしまったのです。アハズヤの治世は、わずか一年でした。
1 アタルヤ、南ユダの王位を奪う
息子のアハズヤが死んだと知った王母アタルヤは、とんでもないことを行いました。ユダの家に属する王の一族を次々と殺し、自分が王になったのです。殺した中には、自分の孫もいたはずです。それを一人残らず抹殺し、王の血筋を徹底的に絶やして、自分が権力を握ろうというのですから、考えられないような残忍な行為です。ダビデ王朝消滅の危機でした。
しかし、死んだアハズヤ王の異母姉妹であるエホシェバが、アハズヤの子ヨアシュを密かに連れ出して隠したのです。その時、ヨアシュはまだ一歳でした。エホシェバの夫は祭司のエホヤダです。エホヤダは、ヨアシュを六年間、主の宮にかくまいました。ダビデの血筋は、かろうじて守られたのです。
2 ヨアシュ王、南ユダの王となる
(1)ヨアシュの即位式、
女王アタルヤの暗黒政治は六年続きました。第七年目に、エホヤダは、信頼できる近衛兵たちを主の宮に集め、七歳になったヨアシュを見せて契約を結ばせ、常にヨアシュを警護するように命じました。そして、近衛兵たちに主の宮にあったダビデ王の槍と丸い小盾を与え、神殿に向かって立たせてから、ヨアシュを連れ出し、王冠をかぶらせ、さとしの書(モーセの五書)を渡しました。そして、ヨアシュを王と宣言し、彼に油を注ぎました。すると、人々は手を叩いて、「王さま。ばんざい」と叫んだのです。それはヨアシュが南ユダの王として正式に即位したことを示す儀式でした。七歳の王の誕生です。
一方、アタルヤは、人々の歓声を聞いて主の宮に行きました。すると、王に即位したヨアシュが伝統に従って神殿の柱のそばに立ち、隊長たちや人々が皆喜んでラッパを吹き鳴らしているではありませんか。この時まで、アタルヤはヨアシュが生きていることを知らなかったようです。アタルヤは自分の衣を引き裂き、「謀反だ、謀反だ」と叫びましたが、アタルヤに加勢する者などいませんでした。残忍の限り尽くし、恐怖で人を支配していた女王アタルヤから民の心は離れていました。アタルヤは取り押さえられ、主の宮から引きずり出され、処刑されてしまったのです。詩篇49篇20節に「人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい」とあります。これは、手段を選ばず強引に権力と富を自分のものにし、恐怖で支配しようとしたアタルヤの姿を思い起こさせるような言葉ですね。
(2)主との契約
エホヤダは、国の再出発にあたり、そこにいる王とすべての民に契約を結ばせました。一つは、神である主に対して王も民も「主の民となる」という契約です。また、王と民との間でも契約が結ばれました。すべての者は神である主のものであり、王は神様に与えられたモーセの律法に従って民を治め、民はその王に従っていきます、という契約です。女王アタルヤの治世では、すべてが女王のものであり、女王の命令が絶対でした。民は恐怖に支配されていたのです。しかし、エホヤダは、すべては神様のものであり、神様に従っていくことが大切だということをあらためて明確に示したのです。
詩篇100篇3節に「知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である」とありますね。この告白は、私たちにとってもふさわしい告白です。身分も貧富の差も職業も立場の違いも関係なく、私たちはみな主のものであり、主の愛と恵みの牧場に生きる羊なのです。
ヨアシュ王と南ユダの民は、この告白をもとに希望をもって再出発しました。すべての人々が喜んで、ヨシュア王を主の宮から王宮に連れて行き、王座に着かせたのです。
(3)礼拝の回復と神殿の修理
エホヤダは、まことの神様への礼拝が回復されるよう心を配りました。まず、おざなりになっていた主の宮の管理が適切に行われるようにしました。祭司やレビ人が本来の役割を正しく果たすことができるように、組み分けをして配属したのです。また、主の宮の門に門衛を立てました。
一方、民も、これまで主の礼拝が妨げられる大きな原因となっていたバアルの神殿を打ち砕き、本来の礼拝の場を回復することを実践していったのです。
ヨシュア王も神殿の修復を命じて、礼拝の回復に大きな貢献をしました。女王アタルヤによって神殿が破壊され、宮の聖なるものがバアル礼拝に使われてしまっていたので、大規模な修復が必要だったのです。しかし、修復するには財源が必要ですね。神殿を維持管理するためには、主の民として登録された一人一人が納める贖い金と呼ばれる奉納金が用いられていました。出エジプト30章13節に「登録される者はみな、聖所のシェケルで半シェケルを払わなければならない」と書かれています。ヨアシュはその奉納金で神殿の修復工事をしようと考えたのです。ところが、なかなか修理が始まりません。集まった金額では、祭司やレビ人の生活と神殿での礼拝を維持するだけで精一杯だったのです。そこで、ヨアシュは、祭司エホヤダと祭司たちを呼んで相談しました。その結果、神殿の入り口に献金箱を置き、全国民に贖い金を持ってくるように布告することになったのです。第二歴代誌24章10節には、「すると、すべてのつかさたち、すべての民が喜んで、それを持って来て、箱に投げ入れ、ついにいっぱいにした」と書かれています。そのお金が、主の宮で工事をしている監督者たちの手に渡され、修復が進められていきました。第二列王記12章15節には「工事する者に支払うように金を渡した人々と、残高を勘定することもしなかった。彼らが忠実に働いていたからである」と書かれています。つまり、神殿は、喜んでささげる人々と誠実な働きをする人々によって修復されたわけです。
(4)ヨアシュの失敗
祭司エホヤダは、南ユダの信仰回復に大きな貢献をし、百三十歳で亡くなりました。その後のヨアシュ王はどうだったでしょうか。第二列王記12章2節にこう書かれています。「ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えた間はいつも、主の目にかなうことを行った。」つまり、エホヤダがいなくなってからは、いつも主の目にかなうことを行ったわけではなかったのです。
@高き所
第二列王記12章3節には、「ただし、高き所は取り除かなかった。民はなおも、その高き所でいけにえをささげたり、香をたいたりしていた」と書かれています。
この「高き所」というのは、神殿が建てられる以前は、主を礼拝する場所として用いられていました。しかし、神殿ができてからは、神殿以外の所での礼拝が禁じられ、各地の高き所は、次第に異教の礼拝の場に変わっていきました。ヨラム王の時代には、忌むべき神々の礼拝の場として用いられていたようです。もしかしたら、ヨアシュは「高き所は主を礼拝する場所だったのだから、あえて取り除く必要はないのではないか」と軽い気持ちで考えていたのかもしれませんね。
私たちも時々同じような思いになることがあるかもしれませんね。「これは、昔からやってきたことだから」「教会の伝統だから」ということでその内容を考えることもせず、そのままにしてしまうということがあるかもしれません。もちろん、それが心から主を礼拝するためのものなら問題ありません。しかし、そのために、礼拝において最も大切なことがおざなりになったら問題ですね。
旧約聖書では、礼拝の場所はただ一つ、エルサレムの神殿であると教えられています。なぜでしょうか。神様は、神殿に御自身を現すと約束してくださいました。また、神殿でささげられるいけにえによって罪が赦されると約束してくださいました。神殿では祭司によって、とりなしの祈りがささげられます。また、誰でも神殿に向かって祈るなら、神様がその祈りを聞いてくださるとも約束されています。つまり、神殿は、神様の臨在と救いを象徴的に現す場所だったのです。
イエス様が救い主として来てくださった新約聖書の時代になると、エルサレム神殿は不要になりました。イエス様御自身が神殿そのものなる方だからです。イエス様を見ることによって神様がどのような方であるかがわかり、イエス様によって罪赦され、イエス様を通して神様に近づき大胆に祈ることができ、イエス様がいつも私たちのためにとりなしをしてくださるからです。また、イエス様を信じることによって私たちの内に聖霊が住んでくださるので、一人一人が神の宮とされました。主がいつも私たちとともにおられるので、私たちはいつでも、どこでも、どのような方法でも礼拝することができるのです。
旧約時代にエルサレムの神殿が礼拝の中心だったように、今は、イエス・キリストが礼拝の中心です。私たちは、イエス様の赦しと恵みの中で神様に近づき、イエス様を通して礼拝をするのです。そのことを忘れると、旧約時代に高き所の存在が礼拝のあり方を歪めていったように、今でも古い習慣や伝統やしきたりや思い込みが私たちの礼拝のあり方を歪めてしまうかもしれません。そのようなものは取り除く必要があるのですね。
ヨアシュは、高き所を取り除いて神殿に民の心を向けさせる必要がありました。しかし、そうしなかったのです。
A高慢と背信
第二歴代誌24章17節にこう書かれています。「エホヤダが死んで後、ユダのつかさたちが来て、王を伏し拝んだ。それで、王は彼らの言うことを聞き入れた。」伏し拝む行為は、神様にのみ献げられるものです。しかし、ユダの高官たちは、王に気に入られたい、王の元で権力を持ちたいと願ったのでしょうね。ヨアシュをまるで神様であるかのように持ち上げ始めたのです。
人間は神のようになれるという誘惑に弱いですね。創世記3章で神様はエデンの園にいるアダムとエバに「善悪の知識の木の実を食べてはならない。食べたら死ぬ」と警告なさいました。善悪を正しく判断できるのは神様だけだからです。しかし、蛇がやって来て「これを食べたら、神のようになれますよ」と誘惑すると、二人はその実を食べてしまったのです。食べたら神様のようになれたでしょうか。いいえ、彼らは、自分たちの姿を恥じて隠れることしかできませんでした。自分勝手な判断で自分勝手な生き方をするようになった彼らは、神様との関係もお互いの関係も自然界との関係も破壊されて、罪と死の力に支配されるようになってしまったのです。
ヨアシュは、王となってから物事が順調に進み、支持率も右肩上がり、そんなときに祭司エホヤダが死んで、これからは俺の時代が来たと思ったかもしれません。しかも、回りの者たちにまるで神様であるかのように持ち上げられたので、「私たちは主のもの、主の民である」という契約のことなどすっかり忘れてしまったのです。そればかりか、異教の神々を礼拝し始めました。第二歴代誌24章18節には「彼らはその父祖の神、主の宮を捨て、アシェラと偶像に仕えた」とあります。アシェラとは女神です。アシェラを礼拝するために棒状の柱が「高き所」に立てられました。神殿修理に尽力したヨアシュでしたが、いまは主の宮を捨て、高き所を拠り所にしてしまったのです。
それだけではありません。第二歴代誌24章19節ー22節にこう書かれています。「主は、彼らを主に立ち返らせようと預言者たちを彼らの中に遣わし、預言者たちは彼らを戒めたが、彼らは耳を貸さなかった。神の霊が祭司エホヤダの子ゼカリヤを捕らえたので、彼は民よりも高い所に立って、彼らにこう言った。『神はこう仰せられる。「あなたがたは、なぜ、主の命令を犯して、繁栄を取り逃がすのか。」あなたがたが主を捨てたので、主もあなたがたを捨てられた。』ところが、彼らは彼に対して陰謀を企て、主の宮の庭で、王の命令により、彼を石で打ち殺した。ヨアシュ王は、ゼカリヤの父エホヤダが自分に尽くしてくれたまことを心に留めず、かえってその子を殺した。」
(5)ヨアシュの最期
そんなヨアシュは悲惨な最期を迎えることになります。
アラムの王ハザエルがエルサレムに攻め上ってきました。このハザエルは、以前お話したように、主君を殺して王になった人物です。エリシャは、ハザエルがイスラエルの人々に多くの残虐な残忍な行為を行うことを預言して涙を流しましたね。そのハザエルが攻めてきたのです。しかし、ヨアシュは、悔い改めて主に助けを呼び求めようとはせず、すぐに降伏して、主の宮と王宮の宝物倉の金をすべてハザエルに渡してしまいました。主に信頼するどころか、主のものである金さえ自分の命乞いのために使ってしまったのです。ハザエルは民のつかさたちを一人残らず殺し、ヨアシュを裁判にかけました。しかし、ヨアシュは重病を患っていて、もはや利用価値がないということで、彼らはヨアシュを捨てて帰っていきました。
すると、ヨアシュの家来たちが謀反を企て、ヨアシュを病床で殺してしまったのです。ヨアシュがエホヤダの子ゼカリヤを殺したので、その復讐をしたのです。熱心に神殿修復をしていた頃のヨアシュには想像できない結末ですね。
人はなんと弱い存在でしょう。だからこそ、与えられた信仰を生涯保つことの大切さがわかりますね。信仰は、一時的に熱心になるよりも、細く長くです。いつも「私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊です」と告白しながら歩んでいきましょう。