城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇二三年一〇月二二日            関根弘興牧師
              第二列王記一九章一五節〜二〇節
 列王記連続説教18
   「ヒゼキヤ王」
 
 15 ヒゼキヤは主の前で祈って言った。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。16 主よ。御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセナケリブのことばを聞いてください。17 主よ。アッシリヤの王たちが、国々と、その国土とを廃墟としたのは事実です。18 彼らはその神々を火に投げ込みました。それらは神ではなく、人の手の細工、木や石にすぎなかったので、滅ぼすことができたのです。19 私たちの神、主よ。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、主よ、あなただけが神であることを知りましょう。」20 アモツの子イザヤはヒゼキヤのところに人をやって言わせた。「イスラエルの神、主は、こう仰せられます。『あなたがアッシリヤの王セナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた。』(新改訳聖書第三版)
 
 前回は、北イスラエルがアッシリヤに滅ぼされ、多くの住民がアッシリヤに移住させられてしまったこと、また、そのかわりに外国の民が連れて来られ、民族的な純粋性が失われてしまったことを見ましたね。
 そのころ、南ユダは、ヒゼキヤが二十五歳で王となっていました。ヒゼキヤ王の第六年にアッシリヤが北イスラエルを滅ぼし、南ユダにも迫ってきていたのです。しかし、ヒゼキヤは、第二列王記18章5節に「彼はイスラエルの神、主に信頼していた。彼のあとにも彼の先にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった」と書かれるほどの王でした。ヒゼキヤは、まず国中の偶像を取り除き、主の神殿を修理し、主への礼拝の回復することに熱心に取り組みました。主の偉大な救いのみわざを思い起こすために、長らく途絶えていた過越の祭りを復活させようと、南ユダの民だけでなく、北イスラエルの残された民にも呼びかけました。そして、すべての南ユダの民と心動かされた北イスラエルの民が集まって盛大な祭りが行われたのです。第二歴代誌30章26節には、「エルサレムには大きな喜びがあった。イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの時代からこのかた、こうしたことはエルサレムになかった。それから、レビ人の祭司たちが立ち上がって民を祝福した。彼らの声は聞き届けられ、彼らの祈りは、主の聖なる御住まい、天に届いた」と書かれています。第二列王記18章7節には「主は、彼とともにおられた。彼はどこへ出陣にしても勝利を収めた。彼はアッシリヤの王に反逆し、彼に使えなかった」と書かれています。
 しかし、ヒゼキヤの生涯がすべて順調だったわけではありません。「ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった」と書かれているヒゼキヤも、決して完璧ではありませんでした。彼にも弱さがあり、高慢になったり、まことの神様以外のものに頼ってしまうことがあったのです。今日は、ヒゼキヤが直面した問題を見ていきましょう。
 
1 アッシリヤの脅威
 
(1)ユダの町々が攻め取られる。
 
 ヒゼキヤの治世は二十九年間でしたが、その第十四年目にアッシリヤが攻め込んできてユダの町々を奪い、ラキシュに陣をを構えました。アッシリヤは、すでにアラムも北イスラエルも滅ぼしており、ついに南ユダも狙ってきたのです。
 ヒゼキヤは、悩みました。そして、ラキシュのアッシリヤ王に使いを送って「今まで逆らっていたことをお詫びします。私のところから引き揚げてください。あなたの要求の通りにしますから」と言ったのです。すると、アッシリヤ王は銀三百タラントと金三十タラントを要求してきました。一タラントは三十四キログラムですから、銀を約十トン、金を約千キロという多額な要求です。ヒゼキヤは、神殿と王宮の宝物倉にある銀を全部、そして、神殿に貼り付けてあった金を剥ぎ取って、アッシリヤ王に渡しました。しかし、ヒゼキヤのこの行動は、アッシリヤをさらに高慢にさせ、まことの神様を侮らせる要因となってしまったようです。神殿の金を剥がして渡したわけですから、アッシリヤにしてみれば「ヒゼキヤが礼拝している神はなんと弱々しい神だ」としか見えなかったことでしょう。そして、引き下がるどころか、さらに圧力をかけてきたのです。
 
(2)エルサレムが包囲される
 
 アッシリヤの王は、ラキシュから大軍をエルサレムに送りました。軍を率いる将軍ラブ・シャケは、交渉に出て来たヒゼキヤの家臣たちに言いました。「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリヤの王がこう言っておられる。いったい、おまえは何に拠り頼んでいるのか。口先だけのことばが、戦略であり戦力だと思い込んでいるのか。今、おまえはだれに拠り頼んで私に反逆するのか。今、おまえは、あのいたんだ葦の杖、エジプトに拠り頼んでいるが、これは、それに寄りかかる者の手を刺し通すだけだ。エジプトの王、パロは、すべて彼に拠り頼む者にそうするのだ。おまえたちは私に『われわれは、われわれの神、主に拠り頼む』と言う。その主とは、ヒゼキヤが高き所と祭壇を取り除いておいて、ユダとエルサレムに向かい『エルサレムにあるこの祭壇の前で拝め』と言ったそういう主ではないか、と。さあ、今、私の主君、アッシリヤの王と、かけをしないか。もしおまえのほうで乗り手をそろえることができれば、私はおまえに二千頭の馬を与えよう。おまえは戦車と騎兵のことでエジプトに拠り頼んでいるが、私の主君の最も小さい家来のひとりの総督をさえ撃退することはできないのだ。今、私がこの所を滅ぼすために上って来たのは、主をさしおいてのことであろうか。主が私に『この国に攻め上って、これを滅ぼせ』と言われたのだ。」(第二列王記18章19節ー25節)
 当時、ヒゼキヤはエジプトと軍事同盟を結んでいたようですが、ラブ・シャケは、「エジプトなど頼りにならない」と言い放ちました。さらに、「神に拠り頼んでも何の助けにもならない」と激しく罵ったのです。ラブ・シャケは、ユダの言葉で大声で語りました。エルサレムに立てこもっている人々を動揺させるためです。そして、こう呼びかけました。「大王、アッシリヤの王のことばを聞け。王はこう言われる。ヒゼキヤにごまかされるな。あれはおまえたちを私の手から救い出すことはできない。ヒゼキヤが、主は必ずわれわれを救い出してくださる、この町は決してアッシリヤの王の手に渡されることはない、と言って、おまえたちに主を信頼させようとするが、そうはさせない。ヒゼキヤの言うことを聞くな。・・・降参せよ。そうすれば、おまえたちはみな、自分のぶどうと自分のいちじくを食べ、また、自分の井戸の水を飲めるのだ。」ラブ・シャケは、「ヒゼキヤの言うことに惑わされずに降参すれば、安全な生活を保障する」と呼びかけたわけです。
 しかし、18章36節にこう書かれています。「民は黙っており、彼に一言も答えなかった。『彼に答えるな』というのが、王の命令だったからである。」
 
(3)ヒゼキヤの祈り
 
 ヒゼキヤ王は、ラブ・シャケの挑発を聞いて自分の衣を裂き、荒布を身にまとって主の宮に入り、主に助けを祈り求めました。また、預言者イザヤのもとに宮内長官たちを遣わしました。すると、イザヤは、こう預言したのです。「あなたがたの主君にこう言いなさい。主はこう仰せられる。『あなたが聞いたあのことば、アッシリヤの王の若い者たちがわたしを冒涜したあのことばを恐れるな。今、わたしは彼のうちに一つの霊を入れる。彼は、あるうわさを聞いて、自分の国に引き揚げる。わたしは、その国で彼を剣で倒す。』」(第二列王記19章6節-7節)
 神様は、「何を言われても恐れるな。わたしはアッシリヤ王にあるのうわさを聞かせ、自分の国に帰らなければならないという気持ちを起こさせる。そこで、彼は殺される」と言われたのです。
 その後、どういう理由かわかりませんが、ラブ・シャケたちはいったん退いてラキシュからリブナに移動していたアッシリア王に合流しました。クシュ(エチオピア)の王がアッシリヤと戦うために出て来たことが関係しているのかもしれません。アッシリヤ王は、クシュと戦う前に南ユダを降伏させようとして、再びヒゼキヤに使者を送り「お前の神に頼っても無駄だ」という手紙を渡しました。ヒゼキヤは、その手紙を読むと、主の宮に上っていって、それを主の前に広げて祈りました。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。主よ。御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセナケリブのことばを聞いてください。主よ。アッシリヤの王たちが、国々と、その国土とを廃墟としたのは事実です。彼らはその神々を火に投げ込みました。それらは神ではなく、人の手の細工、木や石にすぎなかったので、滅ぼすことができたのです。私たちの神、主よ。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、主よ、あなただけが神であることを知りましょう。」(第二列王記19章15節-19節)この祈りの中で、ヒゼキヤは、神様について、四つのことを告白しています。
 
@ケルビムの上に座しておられる主
 ケルビムは、詳しい姿はわかりませんが、翼のある天使のような存在で、いつも神様のもとにいて神様を賛美しほめたたえている様子が聖書に書かれています。荒野で造られた契約の箱の蓋の上には、一対の純金のケルビムの像が向かい合うように置かれてました。その契約の箱は、ソロモンが造った神殿の一番奥の至聖所に安置されました。また、至聖所には、高さ十キュビト(約四・四五メートル)のケルビムの像も二つ置かれ、神殿の壁や内堂の扉にもケルビムが彫刻されていました。つまり、ケルビムは、神様の臨在と栄光を現す存在だったのです。ヒゼキヤが「ケルビムの上に座しておられる主よ」と祈ったのは、「主よ。あなたは、栄光と尊厳に満ちておられ、どんな時にも賛美を受けるにふさわしい方です」という告白をしたわけです。
 
A地のすべての王国の神
 これは、「主よ。あなたは、この国だけでなく、アッシリヤも含めすべての国を支配しておられる王です」という告白です。
 
B天と地を造られた創造者
 ヒゼキヤは、「主こそ天地万物を作られた方ですから、いのちを与えることも奪うことも、すべてはあなたの権威のもとにあります。ですから、私の訴えを聞き、この状況をご覧になって、正しくさばいてください」と訴えているのです。
 
C主こそ神
 アッシリヤは「われわれは、すべての国の神々を滅ぼすことができる。われわれの手から救い出せる神などいない」と誇っていました。しかし、ヒゼキヤは「彼らが滅ぼすことのできた神々は人の手で作った偽物にすぎない。でも、主よ。あなたこそまことの神ですから、そのことを知らしめてください」と祈ったのです。
 
 ヒゼキヤがこのように祈ったとき、イザヤがヒゼキヤのもとに人をやって第二列王記19章20節ー34節の長い預言を伝えました。要約すると次のようなことです。「アッリシヤ王は高慢になって聖なる神様を罵ったので、主はこう仰せられる。『アッシリヤ王もわたしが支配しているのだ。彼は、この町を攻めず、引き返していく。わたしはエルサレムを守って救う』と。」
 そして、次の35節にはこう書かれています。「その夜、主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな、死体となっていた。」何らかの疫病が生じたのかもしれません。神様の超自然的な介入があって、アッシリヤ軍は壊滅状態になってしまったのです。そこで、アッシリヤの王は首都ニネベに戻っていきましたが、ニスロクという偶像の宮で拝んでいたとき、息子たちに暗殺されてしまいました。
 第二歴代誌32章22節ー23節には、こう書かれています。「こうして、主は、アッシリヤの王セナケリブの手、および、すべての者の手から、ヒゼキヤとエルサレムの住民とを救い、四方から彼らを守り導かれた。多くの人々が主への贈り物を携え、ユダの王ヒゼキヤに贈るえりすぐりの品々を持って、エルサレムに来るようになり、この時以来、彼はすべての国々から尊敬の目で見られるようになった。」一時は底をついた国の宝庫にたくさんのものが集まってきました。ヒザキヤは富と誉れに恵まれ、土木工事も成功させ、多く人たちの尊敬を受けるようなったのです。
 
2 ヒゼキヤの病
 
 さて、アッシリヤの大軍から守られたヒゼキヤでしたが、今度は、自分が死にそうな病気になってしまいました。第二歴代誌では32章24節に「そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかったが、彼が主に祈ったとき、主は彼にこたえ、しるしを与えられた」と簡単に書かれているだけですが、第二列王記20章1節ー11節にはもう少し詳しく記されています。
 瀕死の状態のヒゼキヤのもとに預言者イザヤがやって来て言いました。「主はこう仰せられます。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。』」ヒゼキヤよ、終活をしなさい、というわけですね。自分の死を告げられたらショックを受けますね。それを受け入れるには時間がかかります。ヒゼキヤは、主に祈りました。「ああ、主よ。どうか思い出してください。私が、まことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたがよいと見られることを行ってきたことを。」そして、大声で泣いたのです。でも、「全き心をもって主の御前に歩めば長生きできる」とは聖書のどこにも書かれていませんね。主が愛と主権をもって一人一人のいのちの長さをお決めになるのです。ただ、ヒゼキヤは、この時は、「まだ死にたくない」と痛切に感じ、正直に自分を思いを神様に告げたのです。
 すると、預言者イザヤを通して、主はヒゼキヤにこう言われました。「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたをいやす。三日目には、あなたは主の宮に上る。わたしは、あなたの寿命にもう十五年を加えよう。わたしはアッシリヤの王の手から、あなたとこの町を救い出し、わたしのために、また、わたしのしもべダビデのためにこの町を守る。』」と。
 ヒゼキヤは、イザヤに「主が私をいやしてくださり、私が三日目に主の宮に上れるしるしは何ですか」と問いました。すると、イザヤは「主は約束されたことを成就されます。影が十度進むか、十度戻るかです」と答えました。日時計の影が進むか戻るかどちらかを選びなさいというのです。すると、ヒゼキヤは言いました。「影が十度伸びるのは容易なことです。むしろ、影が十度あとに戻るようにしてください。」イザヤが主に祈ると、主は日時計の影を十度あとに戻されたと記されています。こんなことは、普通はありえない不思議な現象ですね。主は、この奇跡を見せて、ヒゼキヤの寿命を十五年延ばすと約束してくださったのです。
 ヒゼキヤの治世は二十九年間ですから、この出来事は、ヒゼキヤの第十四年頃に起こったことになりますね。ちょうどアッシリヤの大軍がエルサレムに押し寄せてきたのと同じ時期です。おそらく、アッシリヤ軍が主によって壊滅状態になって引き揚げていった直後に起こったのではないかと思われます。
 ヒゼキヤは、この後の十五年間はアッシリヤに襲われることもなく平和と繁栄を味わうことが出来たようです。しかし、そこに落とし穴がありました。
 
3 ヒゼキヤの高慢と悔い改め
 
 第二列王記20章12節ー19節とイザヤ39章に、バビロンの王の使者がヒゼキヤのもとに遣わされて来たことが書かれています。「そのころ、バルアダンの子、バビロンの王メロダク・バルアダンは、使者を遣わし、手紙と贈り物をヒゼキヤに届けた。彼が病気だったが、元気になった、ということを聞いたからである。ヒゼキヤはそれらを喜び、宝庫、銀、金、香料、高価な油、いっさいの武器庫、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せた。ヒゼキヤがその家の中、および国中で、彼らに見せなかった物は一つもなかった。」(イザヤ39章1節ー2節)
 当時は、アッシリヤが最強の国でしたが、そのアッシリヤの地位を虎視眈々と狙っていたのがバビロンでした。バビロン王は、ヒゼキヤを味方に引き入れてアッシリヤに対抗しようとしていたのです。ヒゼキヤは、遠いバビロンからわざわざ見舞いに来てくれるほど自分の名が知れ渡っているのかと有頂天になったようです。それに、バビロンは遠いから、ここまで攻めてくることなどないだろうと油断したかもしれません。そこで、ヒゼキヤは自分の国の財産や軍備をすべて見せびらかしてしまったのです。自分が今あるのは主の恵みによるのに、まるですべてが自分の功績であるかのように見せびらかし誇ったのです。国が守られ繁栄したのも、病気が奇跡的に癒やされたのも、「すべては自分が主に従ったからだ」とまるで自分の功績であるかのように誇ったのです。
 しかし、預言者イザヤがやって来てこう宣告しました。「主のことばを聞きなさい。見よ。あなたの家にある物、あなたの先祖たちが今日まで、たくわえてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日が来ている。何一つ残されまい、と主は仰せられます。また、あなたの生む、あなた自身の息子たちのうち、捕らえられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者があろう。」(第二列王記20章16節ー18節)この預言は約百年後に成就することになります。
 この出来事について、第二歴代誌32章25節ー26節にはこう書かれています。「ヒゼキヤは、自分に与えられた恵みにしたがって報いようとせず、かえってその心を高ぶらせた。そこで、彼の上に、また、ユダとエルサレムの上に御怒りが下った。しかしヒゼキヤが、その心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼およびエルサレムの住民もそうしたので、主の怒りは、ヒゼキヤの時代には彼らの上に臨まなかった。」預言者に厳しいことを言われると、「うるさい、黙れ」と逆ギレして反省しない王様も多くいましたね。しかし、ヒゼキヤはイザヤの宣告を聞いて、自分の行ったことの愚かさに気づき、神様の前にへりくだったのです。そして、第二列王記20章19節にはこう書かれています。「ヒゼキヤはイザヤに言った。『あなたが告げてくれた主のことばはありがたい。』彼は、自分が生きている間は、平和で安全ではなかろうか、と思ったからである。」これは、自分が生きている時は大丈夫だから、後はどうなってもかまわないという自分勝手な言葉ではありません。本来なら、すぐに国がバビロンによって滅ぼされてもおかしくありませんでした。しかし、神様は、ヒゼキヤの寿命を十五年延ばしてくださったように、国の寿命を延ばして、悔い改めのチャンスを与えてくださったのです。
 アッシリアの将軍ラブ・シャケがヒゼキヤやエルサレムの人々を挑発したように、私たちも「お前の神はどこにいるのか、主に期待しても助けてなどくれないぞ」と挑発されることがあるでしょう。でも、ヒゼキヤが「何も答えるな」と命じたように、私たちも反論は不要です。ただ、主を礼拝し、「あなたこそまことの神、すべてを造り、支配しておられる主、賛美と栄光を受けるにふさわしい方です」と告白しながら歩んで行きましょう。