城山キリスト教会 礼拝説教
二〇二三年十一月五日 関根弘興牧師
第二列王記二三章一節〜三節
列王記連続説教19
「契約の書の発見」
1 すると、王は使者を遣わして、ユダとエルサレムの長老をひとり残らず彼のところに集めた。2 王は主の宮へ上って行った。ユダのすべての人、エルサレムの住民のすべて、祭司と預言者、および、下の者も上の者も、すべての民が彼とともに行った。そこで彼は、主の宮で発見された契約の書のことばをみな、彼らに読み聞かせた。3 それから、王は柱のわきに立ち、主の前に契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、精神を尽くして、主の命令と、あかしと、おきてを守り、この書物にしるされているこの契約のことばを実行することを誓った。民もみな、この契約に加わった。(新改訳聖書第三版)
北イスラエル王国の歴代の王たちは、預言者たちが語る「主に帰れ」という言葉を無視し続けた結果、アッシリヤに滅ぼされ、多くの住民がアッシリヤに移住させられてしまいました。
その時、南ユダの王は、ヒゼキヤでした。ヒゼキヤは、主に信頼し、主を礼拝することを大切にした王です。アッシリヤに包囲され窮地に立たされたときも、主に必死に祈り求めました。すると、神様は不思議な方法で一晩でアッシリヤ軍を壊滅させ、退けてくださったのです。その結果、ヒゼキヤはすべての国々から尊敬され、豊かになっていったのです。また、ヒゼキヤが瀕死の病の床で主に癒やしを願い求めると、主は病を癒やし、寿命を延ばして下さいました。しかし、当時、勢力を増してきたバビロンの王から遣わされた使者がやってくると、ヒゼキヤは、自分の国の財産や軍備をすべて彼らに見せびらかしてしまいました。自分が今あるのは主の恵みによるのに、まるですべてが自分の功績であるかのように誇ったわけですね。そんなヒゼキヤのもとに預言者イザヤがやってきて、厳しいさばきの預言を語りました。「やがて、南ユダがバビロニヤ帝国によって滅ぼされ、ヒゼキヤの子孫を含めて、人々がバビロンに捕らえ移されていく」という預言です。すると、ヒザキヤは、自分の愚かさに気づき、民とともに神様の前にへりくだったので、ヒゼキヤの時代には主の怒りは彼らの上に臨まなかったと書かれています。ヒザキヤは素晴らしい王として紹介されていますが、それは彼が完全無欠な王であったからではありません。弱さも愚かさもありましたが、主の前に正直に生き、主の言葉を素直に聞いてへりくだる心を持っていたからなのです。
さて、北イスラエル王国は滅びてしまったので、これからは南ユダの王たちだけを見ていくことになります。
1 マナセ
ヒザキヤが死ぬと、その子マナセが十二歳で王となり、五十五年間国を治めました。イスラエルの歴史の中で最も長い在位期間です。長く王でいられたということは、主の前に正しく歩んだからだろうと思いますね。しかし、マナセは、父ヒゼキヤとは真逆なことを行ったのです。マナセは、ヒゼキヤが追い払った異教の偶像を持ち込み、ヒゼキヤが取り壊した異教の神々の祭壇を再建しました。また、子供を犠牲にして火の中をくぐらせる忌まわしいモレクの神も礼拝しました。また、マナセは、卜占、まじない、霊媒、口寄せに頼りました。聖書ではこれらのものは禁じられています。私たちが頼るべき方はまことの神様だけであり、占いや霊媒などは人を惑わすだけのものだからです。マナセは、偶像や占いや霊媒に頼るなという聖書の警告をことごとく無視したわけですね。しかも、さらには主の宮に天の万象のための祭壇を築き、自分が造った偶像の彫像を安置することまで行ったのです。第二列王記21章7ー9節にこう書かれています。「主はかつてこの宮について、ダビデとその子ソロモンに言われた。『わたしは、この宮に、そしてわたしがイスラエルの全部族の中から選んだエルサレムに、わたしの名をとこしえに置く。もし彼らが、わたしの命じたすべてのこと、わたしのしもべモーセが彼らに命じたすべての律法を、守り行いさえするなら、わたしはもう二度と、彼らの先祖に与えた地から、イスラエルの足を迷い出させない。』しかし、彼らはこれに聞き従わず、マナセは彼らを迷わせて、主がイスラエル人の前で根絶やしにされた異邦人よりも、さらに悪いことを行わせた。」
このマナセ対して、預言者たちは次のような主のことばを語りました。「見よ。わたしはエルサレムとユダにわざわいをもたらす。・・・人が皿をぬぐい、それをぬぐって伏せるように、わたしはエルサレムをぬぐい去ろう。わたしは、わたしのものである民の残りの者を捨て去り、彼らを敵の手に渡す。彼らはそのすべての敵のえじきとなり、奪い取られる。それは、彼らの先祖がエジプトを出た日から今日まで、わたしの目の前に悪を行い、わたしの怒りを引き起こしたからである。」(第二列王記21章11節ー15節)
しかし、マナセは聞く耳を持たないどころか彼らを迫害しました。「罪のない者の血まで多量に流し、それがエルサレムの隅々に満ちるほどであった」と書かれているほど残忍なことをしたのです。伝承では、預言者イザヤは、このマナセによって、のこぎりでひかれ殉教したと言われています。こんな悪い王がイスラエルの歴史の中で最も長く王でいられたというのですから、神様はどうして何もしてくださらないのか、と思ってしまいますね。
実は、列王記には記されていないのですが、第二歴代誌には、マナセの生涯の後半の姿が記されています。33章10節ー12節にこう書かれています。「主はマナセとその民に語られたが、彼らは聞こうともしなかった。 そこで、主はアッシリヤの王の配下にある将軍たちを彼らのところに連れて来られた。彼らはマナセを鉤で捕らえ、青銅の足かせにつないで、バビロンへ引いて行った。しかし、悩みを身に受けたとき、彼はその神、主に嘆願し、その父祖の神の前に大いにへりくだって、神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうして、マナセは、主こそ神であることを知った。」それまで自分の好き勝手に生きてきたマナセは、大きな苦難の中で自分の弱さを思い知らされたのでしょう。主の前にへりくだって必死に祈りました。すると、神様はその祈りを聞き、彼をエルサレムの王国に戻されたのです。ヤコブ4章6節に「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる」と書かれているとおり、神様は、どんなに大きな罪を犯したとしても、神様の前にへりくだる者を見捨てることはなさらないのですね。
マナセは、主こそ神であることを知り、その後の生き方が大きく変わりました。33章15節ー16節にこう書かれています。「彼は主の宮から外国の神々と偶像、および、彼が主の宮のある山とエルサレムに築いたすべての祭壇を取り除いて、町の外に投げ捨てた。そして、主の祭壇を築き、その上で和解のいけにえと感謝のいけにえをささげ、ユダに命じてイスラエルの神、主に仕えさせた。」マナセは、偶像礼拝をやめ、まことの神様だけを礼拝し、和解のいけにえと感謝のいけにえをささげました。そのいけにえは、神の助けを感謝し、主の恵みの中に生かされていることに感謝と賛美をささげるものです。マナセは、とんでもないことをした恐ろしい王様でした。しかし、自分の弱さや高慢さを知らされたとき、へりくだって真剣に主に祈ったのです。それが彼の新しい人生の出発となりました。こうして、マナセは「旧約の放蕩息子」と呼ばれるようになったのです。
2 アモン
マナセが生涯を閉じるとその子アモンが王となりました。第二歴代誌33章22節ー23節にこうあります。「彼は、その父マナセが行ったように、主の目の前に悪を行った。彼は、その父マナセが造ったすべての刻んだ像にいけにえをささげ、これに仕えた。彼はその父マナセがへりくだったようには、主の前にへりくだらず、かえって、彼アモンは罪過を大きくした。」アモンは、父親の悪い面だけ受け継いだわけですね。結局、王になってわずか二年後、アモンは謀反を起こした家たちに暗殺されてしまいました。
3 ヨシヤ
アモンの次にアモンの子ヨシヤが八歳で王となりました。第二列王記22章2節には「彼は主の目にかなうことを行って、先祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった」と書かれています。また、第二列王記23章25節には「ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてモーセのすべての律法に従って、主に立ち返った王は、彼の先にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、ひとりも起こらなかった」と書かれています。幼いヨシヤには後見人がいたはずですから、その後見人がヨシヤをしっかり教え導いたのかもしれませんね。
第二歴代誌34章を見ると、ヨシヤは、治世の第八年、約十五歳頃から「先祖ダビデの神に求め始め」、第十二年、二十歳頃から「ユダとエルサレムをきよめ始め」たと書かれています。彼は、南ユダの異教の偶像や祭壇を取り除いただけでなく、北イスラエルの残された民が拝んでいた偶像や祭壇も取り除いたと書かれています。
(1)律法の書の発見
そして、第十八年目の二十五歳ぐらいの時に主の宮の修理を命じたのですが、その修理の最中に大発見がありました。律法の書が見つかったのです。旧約聖書の最初の創世記から申命記までの五つの書のことで、神様がモーセを通してイスラエルの民にお与えになった十戒や様々な律法が記されています。「みおしえのみことば」「契約の書」とも呼ばれ、契約の箱のそばに保管されていたのですが、いつのまにか行方不明になっていたのです。それが発見されたというわけですね。
彼らは、これまで律法の書がないので、言い伝えなどを頼りに礼拝をしていたわけですね。今で言うなら、聖書を抜きにして礼拝するようなものですね。ですから、なかなか確信を持つことができません。しかし、いま、律法の書が発見され、書記シャファンが王の前でそれを読み上げたのです。
すると、第二列王記22章11節に「王は律法の書のことばを聞いたとき、自分の衣を裂いた」と書かれています。皆さんは、聖書を読んで、自分の衣を裂くほどの衝撃を受けたことがありますか。ヨシヤは、なぜ衝撃を受けたのでしょうか。神様に背き、神様のことばに従おうとしない民に対する主のさばきが書かれていたからです。たとえば、申命記28章14節ー15節にはこう書かれています。「あなたは、私が、きょう、あなたがたに命じるこのすべてのことばを離れて右や左にそれ、ほかの神々に従い、それに仕えてはならない。もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行わないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。」ヨシヤは自分たちの歴史を振り返り、自分たちが主に聞き従わずに歩んだことによってもたらされたさばきの厳しさについて思い巡らしたのかもしれません。また、祖父マナセや父アモンが行ったことや、滅亡した北イスラエルの姿、また、今の現状を考えて、これではいけないと強く思ったのでしょう。
そして、これからどうしたらよいかを尋ねるために、エルサレムに住んでいた女預言者フルダのもとに祭司や部下を遣わしたのです。すると、フルダはこう預言しました。「主は、こう仰せられる。見よ。わたしは、この場所とその住民の上にわざわいをもたらす。ユダの王が読み上げた書物のすべてのことばを成就する。」さばきは執行されるというのです。しかし、ヨシヤに対しては「あなたが、この場所とその住民について、これは恐怖となり、のろいとなると、わたしが言ったのを聞いたとき、あなたは心を痛め、主の前にへりくだり、自分の衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる。・・・あなたは自分の目で、わたしがこの場所にもたらすすべてのわざわいを見ることがない」と語りました。ヨシヤの時代には主のさばきは実行されないというのです。
(2)ヨシヤの宗教改革
フルダの預言を聞いたヨシヤは奮い立って民の信仰を回復するために、次のようなことを実行していきました。
@律法の書の読み聞かせ
まず、すべての長老や民を主の宮に集めて律法の書のことばを読み聞かせました。今のように誰でも自由に読めるわけではありません。皆、初めて神様の律法の書を直接聞いたわけです。
A主との再契約
それから、ヨシヤは民とともに、あらためて主の前に契約を結びました。「主に従って歩み、心を尽くし、精神を尽くして、主の命令と、あかしと、おきてを守り、この書物にしるされているこの契約のことばを実行することを誓った」と書かれています。
Bきよめ
それから、王は、国中から異教の神々や偶像礼拝を一掃するためにさらに熱心に取り組みました。まず、主の宮を徹底的にきよめ、また、国中の偶像礼拝の場所を取り壊し、汚れたものとして使えないようにしました。北イスラエルの初代の王ヤロブアム一世が作った金の子牛の祭壇も粉々に砕き、灰にしました。そして、近くの墓から骨を取り出してきて、その祭壇の上で焼き、祭壇を汚れたものとしたのです。
皆さんは覚えておられるでしょうか。以前、第一列王記13章で、この祭壇で香をたくためにやって来たヤロブアム一世に向かって、ひとりの神の人がこう預言しましたね。「祭壇よ。祭壇よ。主はこう仰せられる。『見よ。ひとりの男の子がダビデの家に生まれる。その名はヨシヤ。彼は、おまえの上で香をたく高き所の祭司たちをいけにえとしておまえの上にささげ、人の骨がおまえの上で焼かれる。』」それを聞いたヤロブアムが怒って「彼を捕らえよ」と手を伸ばすと、突然その手がしなびてしまったのでしたね。その神の人が預言した通りのことが、約三百年後のヨシヤの時代に起こったわけです。ヨシヤが墓から取り出してこの祭壇の上で焼いた骨は、この祭壇につかえた祭司たちの骨だったのでしょう。
ヨシヤは近くに石碑があるのに気づきました。それは、ヤロブアムに預言した神の人の墓でした。ヨシヤは、「そのままにしておきなさい。だれも彼の骨を移してはならない」と命じました。ヨシヤは、勇気を持ってヤロブアムの愚かさを指摘した神の人の姿の中に、主に従う生き方を見、その墓を大切にするよう命じたわけです。ヨシヤは、そのほかにも北イスラエルの地に残っていた偶像礼拝の場所や祭壇を取り壊し、汚れものにして、二度とそこが使えないようにしたのです。また、霊媒、口寄せや、ユダの地とエルサレムに見られるすべての忌むべき物をのぞき去りました。
C過越のいけにえ
そして、ヨシヤは、すべての民に「この契約の書にしるされているとおりに、あなたがたの神、主に、過越のいけにえをささげなさい」と命じました。第二列王記23章22節には「事実、さばきつかさたちがイスラエルをさばいた時代からこのかた、イスラエルの王たちとユダの王たちのどの時代にも、このような過越のいけにえがささげられたことはなかった」と書かれています。ヨシヤの曾祖父にあたるヒゼキヤも過越のいけにえをささげましたが、ヨシヤの時代の過越のいけにえはさらに大きな規模のものでした。しかも、発見された律法の書の通りの方法で行われたのです。
第二列王記23章25節には、こう書かれています。「ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてモーセのすべての律法に従って、主に立ち返った王は、彼の先にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、ひとりも起こらなかった。」
ヨシヤは、神様から与えられた律法に忠実に従おうと心を尽くした王だったのです。
(3)メギドの戦いとヨシヤの死
私たちはこうしたヨシヤの姿を見ると、きっと最後まで順調に歩んでいったのではないかと思ってしまいますね。しかし、そうではありませんでした。エジプトの王パロ・ネコが、アッシリヤの王のもとに行こうとユーフラテス川のほうに上って来たのです。
当時、力を誇っていたあのアッシリヤは新バビロニヤ王国とメディ7ア王国の連合軍によって首都ニネベを失い、瀕死の状態でした。アッシリヤの亡命政権は、エジプトと同盟を組んでバビロニヤ連合軍と戦おうとしたわけです。エジプトにとって北に勢力を伸ばすチャンスでした。しかし、エジプトがユーフラテス地方にいくためには、南ユダ王国を通らなければなりません。ヨシヤは、そのエジプトを迎え撃ちに出て行きました。すると、エジプトの王はヨシヤのもとに使者を遣わしてこう言ったのです。「ユダの王よ。私とあなたと何の関係があるのですか。きょうは、あなたを攻めに来たのではありません。私の戦う家へ行くところなのです。神は、早く行けと命じておられます。私とともにおられる神に逆らわずに、控えていなさい。さもなければ、神があなたを滅ぼされます。」しかし、ヨシヤは引かず、変装して、メギドの平地でエジプトと戦いに出ていきました。しかし、あえなく戦死してしまったのです。第二歴代誌35章22節には、ヨシヤは「神の御口から出たネコのことばを聞かなかった」と記されています。ヨシヤは、「自分が忠実に律法を守っているのだから、神様がエジプトに勝たせてくださるはずだ」と勝手に思い込んでいたのかもしれません。信仰のおごりのようなものを感じと取ること出来ます。
さて、今日は、南ユダのマナセ、アモン、ヨシヤの三人の王を見ましたが、特に、マナセとヨシヤは対照的な人物ですね。 マナセは、最初は神様に背を向け悪の限りを尽くしましたが、苦難に遭って自分の弱さを知り、主に祈り求めて救われ、「主こそ神である」ことを知り、新しい人生を歩み始めました。
一方、ヨシヤは、初めから主を第一にし、律法の書に忠実に従おうとしました。その姿を神様は喜ばれたはずです。しかし、私たちはここで、律法の限界を見ることになるのです。つまり、私たちがどんなに神様に従う誓いをし、自分の内から徹底的に悪を取り除こうとしても、限界に行き当たってしまうのです。
律法は素晴らしいもので、私たちがどう生きるべきかを教えてくれます。しかし、私たちは、律法を完璧に守ることなどできません。守っているようでも、いつのまにか高慢になってしまう弱さがあります。表面的に律法に従っているように見えても、律法の本質である「神を愛し、隣人を愛する」という心を失っていることもよくあります。つまり、律法の行いによって救いを得ることは不可能だということ、そして、だからこそ神様の助けを心から祈り求め、神様の恵みによって救いを与えていただくことが必要なのだということを、旧約聖書全体が教えているのです。「旧約」聖書の「旧約」とは、神様との「古い契約」、つまり、「律法を守れば、幸いな生涯を送ることができる」という契約です。しかし、その契約の条件を満たすことのできる人は一人もいません。自分で自分を救う力のない私たちのためには、父なる神の恵みと、救い主イエスの救いのみわざと、聖霊の助けが必要であることを、旧約聖書は教えているのです。
ヨシヤのように神様に従おうとする心を持つことは大切です。しかし、それとともに、悪行の限りを尽くしたマナセのような者でも、心から祈り求めるなら、神様は赦しと恵みを与えてくださるということも覚えつつ、信仰生活を送っていきましょう。