城山キリスト教会 夕拝メッセージ    
二〇二二年六月五日            豊村臨太郎牧師
聖書人物シリーズ1「アダム@」創世記二章七節
 
「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。」(創世記2・7)
 
みなさん、こんばんは。今日から新しいスタイルでの夕拝が始まりました。夕拝の準備を進めていくなかで、聖書のお話をどうしようかと考えていたのですが、「そうだ、聖書の人物を紹介していこう」と思いました。
聖書中には、いろんな人が登場しますが、彼らは私たちから遠くかけ離れた「模範的な人物」や「聖人君子」だったわけではありません。私たちと同じ弱さを持ち失敗もありました。時代と場所は違っても、同じ世界に生きた人たちです。そして、聖書の神様は人を愛し関心をもっておられます。人を通して神様の愛を教えてくださいます。ですから、聖書の人物を見るとき、神様がどのようなお方であるのかを知ることができるのです。
今日、最初に取り上げるのは、最初の人「アダム」です。聖書を一箇所読みます。
 
「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。」(創世記2・7)
 
 聖書は、最初の人アダムが神様によって造られたと教えています。どのように造られたのでしょうか。まず第1番目に、アダムは神様の「配慮の中で」造られました。
 
1 愛の配慮の中で
 
ご存じのように、創世記1章には、神様がこの世界の全て、天地を造られた経緯が書かれています。初めに光が造られました。そして空と海、陸、植物、また、空には太陽と月と星、それから魚や鳥、動物を造られました。そして、最後に人が造られたのです。淡々と記されていますが、人間が生きる為に必要なもの全てが整えられてから、準備万端の状態で最初の人アダムが造られました。つまり、神様は配慮をもってアダムを造られたのです。
私は、自分の子どもが生まれて、初めて家に帰ってきたことを思い出します。一生懸命に掃除機をかけて、部屋を整えて、その時、自分にできる限りの状態で迎えました。人の親ですらそうですね。神様はそれどころではありません。アダムが生きる為に完全な状態を、ベストの状態を用意してくださったのです。そこに神様の愛を見ることができます。
 
2 土の塵で
 
また、アダムは、土のちりから造られました。以前、ライフ・ラインに出演してくださった沖縄の陶芸家がおられます。沖縄県読谷村にある「やちむんの里」に工房をかまえる松田米司さん・共司さんという兄弟です。日本最大級の登り窯を使って、沖縄の焼き物の歴史と伝統を大切にしている陶芸家です。その方が言っていた印象的な言葉があります。「器づくりは、土を選び所から始まるんですよ。土を選んでいるとき、わくわくするんです。この土からどんな器ができるかって。」神様もそんな心でアダムを形づくられたのかもしれませんね。
私たち人間は、自分が弱い存在であることを知っていますね。そして、いつかは朽ちてしまう「土のちり」に帰る存在です。「ちり」を辞書で調べると、「利用価値のないこまごました汚いもの。全く値うちのないもの」と記されています。神様は、弱い、吹けば飛びそうな、ちりから人を造られたというのです。でも、神様は、そんな弱い、壊れやすい、土のちりから、愛を込めてアダムを造り、しかも、彼をご覧になって、「それは非常によかった」(1・31)と言われたのです。神様の目からみたら「尊い」存在なのです。
また、聖書は、弱さのうちに神様の力が表されるとも約束されています。「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」(2コリント12・9)私たちは、弱い存在だけれでも、そんな私たちを通して、イエス様が働いてくださるのですね。
 
3 いのちの息を吹き込まれた。
 
そして、アダムは、神様から「いのちの息を吹き込まれた」とあります。聖書で、「息」は「霊」と同じことばです。つまり、土から造られたアダムに、「神様の霊」が吹き込まれたということです。それは、具体的には「神様を思い、神様に応答することができる存在」とされたということです。
伝道者の書3章11節には、「神は、人の心に永遠を与えられた」とあります。確かに、人はみんな「永遠を思う心」が与えられていますね。当たり前のように「ずっと生きたいな」「このままがいつまでも続くんじゃないだろうか」そんな思いがあります。また、神様という言葉は使わなくても、絶対者のような存在を心のどこかで感じています。聖書は、それは人間が肉体だけの存在でなく神様の息が吹き込まれているからだと教えるのです。だから、神様に祈る心が自然におこるし、神様を賛美し礼拝することのできる存在とされているのです。
私は、時々、駅前の図書館に行きますが、カウンターに小さな案内ロボットが置いてあります。タッチパネルに触れるとちゃんと応えてくれます。面白いですね。また、スマホにはSiriとかgoogleアシスタントがありますね。良くできています。でも、私たちは、それが人格的な存在だとは思っていないですね。どこまでいってもロボットであり、プログラムされたものです。でも、アダムはプログラムでもAIでもない。神様に愛されて、神様に応答できる、「いのちの息が吹き込まれた者」として造られたのです。
「アダム」は、@「神様の配慮の中で」造られました。A「土の塵から」造られました。B「いのちの息」を吹き込まれました。
 それは、私たちもまた、神様の配慮によって生まれてきたということです。神様は私たちを愛し、最善を成して下さるお方です。私たちには肉体的な弱さがあります。でも、その弱さの中にイエス様が生きてくださいます。そして、私たちは神様を礼拝するものとして、神様に祈り、賛美し、礼拝することができる者として、生かされています。その歩みの中で神様の恵みを味わいながら生きることができます。その神様の愛とイエス様の恵みの中を、今週も歩んでゆきましょう。