城山キリスト教会夕拝説教
二〇二二年九月一八日           豊村臨太郎牧師
聖書人物シリーズ11「アブラハム3−ロトとの別れ−」
創世記一三章五節〜一八節
 
5 アブラムといっしょに行ったロトもまた、羊の群れや牛の群れ、天幕を所有していた。
6 その地は彼らがいっしょに住むのに十分ではなかった。彼らの持ち物が多すぎたので、彼らがいっしょに住むことができなかったのである。
7 そのうえ、アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちとの間に、争いが起こった。またそのころ、その地にはカナン人とペリジ人が住んでいた。
8 そこで、アブラムはロトに言った。「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。
9 全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」
10 ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったので、その地はツォアルのほうに至るまで、主の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。
11 それで、ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、東のほうに移動した。こうして彼らは互いに別れた。
12 アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住んで、ソドムの近くまで天幕を張った。
13 ところが、ソドムの人々はよこしまな者で、【主】に対しては非常な罪人であった。
 14 ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。
15 わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。
16 わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。
17 立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」
18 そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに主のための祭壇を築いた。
 
 聖書人物シリーズ、今日はアブラハムの生涯の3回目です。
 少し前回を振り返りますが、神様の約束の地カナンに入ったアブラハムを最初に襲ったのは飢饉でした。
 アブラハムは飢饉の中で食べ物を求めてエジプトへくだったのですが、その道中、妻サラのことで恐れを感じ始めました。「サラは美しい。きっとエジプトの人たちは、私を殺してサラを奪おうとするだろう。」
 そして、アブラハムは自分の身を守るためにサラを妹だと偽ったのです。サラはエジプトの王宮へ召し抱えられてしました。それと引き換えにアブラハムは豊かな財産を得ました。しかし、このままではサラはパロの側室になってしまいます。神様の約束、アブラハムとサラから生まれる子によって、全ての人に神様の祝福が広がっていくという約束が実現しなくなってします。アブラハムにはもうどうすることもできません。
 しかし、神様は真実なお方でした。がパロの王宮に災いをもたらし、直接介入してくださったのです。サラは王宮から解放され、アブラハムたちは無事エジプトを出てカナンの地へと戻ることができました。神様に救い出され再出発したアブラハムは祭壇を築きました。神様を礼拝する生活が回復されたのです。
 さて、アブラハムはエジプトにいる間、多くの富を得ることができましたが、甥のロトの家族も一緒でした。今日の箇所では、甥ロトとの関係を巡って勃発した問題が記されています。飢饉の次は親戚関係の問題です。一難去ってまた一難。人生は問題の連続ですね。
 
1 甥ロトとの問題
 
 13章の5節から7節を見るとこう書かれています。
 アブラムといっしょに行ったロトもまた、羊の群れや牛の群れ、天幕を所有していた。その地は彼らがいっしょに住むのに十分ではなかった。彼らの持ち物が多すぎたので、彼らがいっしょに住むことができなかったのである。そのうえ、アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちとの間に、争いが起こった。(創13・5−7)
 神様がアブラハムとロトを祝福してくださったので、彼らは沢山の牛の群や羊の群を所有するようになりました。でも、牧草地が少なくて、お互いのしもべたちが争うようになったのです。
 この問題の背景にはいくつかの争いの種がありました。一つは「豊かさ」です。
 
 (1)「豊かさ」
 
 「豊かさ」は感謝なことですが、時に問題の種になることがあります。アブラハムとロトは、遠いウルからハランを経由してカナンにやってきました。そして、飢饉を経験しエジプトにいきました。二人は一緒に苦労していました。叔父と甥で助け合ってきたことでしょう。貧しいとき苦しい時は互いに助け合わないと生きていけませんから。でも、この時は十分な豊かさがありました。それが不満や問題を生んでいったのです。
 
 (2)「失望」
 
 おそらく、この時のロトの心の中にはアブラハムへの失望があったのではないかと思います。ロトは遠いウルの地から、アブラハムが行くところを知らないで出発した旅に一緒についてきました。ロトは叔父であるアブラハムを尊敬してたと思います。
 「アブラム叔父さんについていくなら、大丈夫。なんといっても彼は強い信仰があるし、頼りがいのある人だから。」そんな気持ちを持っていたことでしょう。
 しかし、実際一緒に行動してみると、今まで見えなかったアブラハムの弱さや欠点が見えてきたのです。自分の妻を妹だと偽って自分の命のことしか考えない姿、エジプトで妻と引き換えに私服をこやしていた叔父の姿を見たのです。
 もちろん、ロトもその恩恵を受けていたのですが、人はいつも自分のことは棚に上げやすいものです。一度、相手に対して失望してしまうと、おそらくアブラハムが信仰の再出発をしても、ロトは信頼できなくなったようです。親しい関係を保って入ればいるほど、自分の意に反したことを見たり、聞いたりすると、失望の度合いが大きくなりますね。
 そして、ロトのアブラハムへの失望は高慢にも繋がったと思います。
 
 (3)「高慢」
 
 ロトはアブラハムについていったことで富を得ました。祝福が与えられました。でも、まるで自分一人で得たと思うようになったのではないでしょうか。叔父のアブラハムの故に現在の自分があることを忘れて、自分一人で富を築き上げたと思ってしまのかもしれません。そして、ロトのそのような態度や空気はロトの家族やしもべにも広がって、争いが起こったのだと考えられます。「豊かさ」「失望」「高慢」、考えさせられますね。
 
2 アブラハムの提案とロトの選択
 
 そのような背景の中で、アブラハムとロトの間に問題が起こりました。得に、お互いのしもべ同士で争いがおこったのです。「おい、この場所は俺たちの羊のための場所だぞ。あっちへいってくれよ。」「何をいう、アブラハム様の羊が優先だ!」
 言い争いが絶え間なく起こるようになったのでしょう。ついにアブラハムはロトにこう提案しました。
「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」(創世記13・8−9)
 「ロトよ。もう一緒には無理だ。私から別れてくれないか。お前の好きな方を選んでいいから。」
 これをロトに伝えた時のアブラハムの気持ちを想像すると辛いですね。これまでの自分の言動で甥のロトを躓かせてしまった。もう、自分では取り返すことができない。離れるしかない。自分から身を引かざるをえない辛さです。
 しかし、アブラハムは富に固執せず、立場にこだわらず、謙遜にこの提案をしたのです。エジプトでの試練が彼を成長させたことがわかりますね。
 一方のロトは、おそらくこの提案を待っていたのでしょう。本来なら年下のロトが、「おじさん、これまでお世話になりました。私は自分で場所を探してでていきます。」これまで世話になってきたロトがアブラハムに言うべきです。でも、ロトもしたたかでした。アブラハムに言わせたわけです。
 ロトは待っていましたとばかりにこの提案に乗りました。南にあるヨルダンの低地は豊かな潤いのある地でした。「住みやすそうだな。よし、あそこにしよう」その豊かな潤いの地に彼らはさっさと下っていってしまいました。
 実は、そこには人間的な豊かさ、目に見える豊かさがありましたが、人の目に良いと思えるものが必ずしも神様の目に美しいものではないことも、聖書は教えているのです。そこは、有名なソドムとゴモラの町でした。そこに住む人々は、よこしまな者たち、神様に背を向けて生きる人々が非常に多かったのです。
 ロトは、自分の利益とって一番良いと思える低地を選び、当たり前ようにアブラハムから去って移動していったのです。その道は神様なしの秩序にまっしぐらに向かって行く道でした。ここからロトは、神様抜きの不道徳でよこしまな文化に染まっていくのです。
 一方で、アブラハムは人の目には良い場所ではない、でも神様に頼る以外に生きられない場に移っていったのです。アブラハムは、ロトと別れたあと、ヘブロンという場所に落ち着きました。そこで、神様はアブラハムに語りかけて、励ましてくださいました。
 
3 神様の励まし
 
「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。…立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」(創13・14−17)
 神様はアブラハムに「目を上げて、見渡しなさい」といわれました。ロトは、自分の利益の目で見て、豊かな潤いのある地を選びとりました。でも、アブラハムは、神様の促しによって、信仰の目で地を見たのです。そこは人間的には豊かな地ではないかもしれません。でも、神様はその地を与えて、豊かにすると語ってくださったのです。
 アブラハムは年長者として当然あるはずの権利を手放しました。進んでゆく場所の選択権をロトに渡しました。でも、神様はアブラハムの手をしっかりと握っていてくださったのです。神様はアブラハムへの祝福の約束を忘れておられないのです。
 私たちもそれぞれの場所に置かれていますね。もしかしたら、そこは自分で望んだ場所ではないかもしれません。強いられておかれていると感じる場所かもしれません。でも、たとえ人の目に良いと思えなくても、自分が良いと思えないときでも、神様が共にいてくださるなら、どんな場所でも、そこは祝福の場所になるのです。
 新約聖書のガラテヤ人への手紙には、こう書かれています。
「ですから、信仰によって生きる人々こそアブラハムの子である、と知りなさい。」(ガラテヤ3・7)
「あなたがたがキリストのものであれば、アブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。」(ガラテヤ3・29)
 イエス様を信じている私たちには、イエス様への信仰によってアブラハムの祝福が与えられています。つまりそれは、私たちが今置かれている生活の場が、神様が置いてくださった祝福の場所だということです。神様は、私が生活している今のこの場所で、私たちを守り豊かに祝福してくださるのです。
 
4 祭壇を築いたアブラハム
 
 さあ、神様の励ましのことばを聞いたアブラハムはどうしたでしょう。祭壇を築きました。
「天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに主のための祭壇を築いた。」(創13・18)
 この一連の出来事があったのち、彼は神様のことばに応答して、また祭壇を築いて礼拝を献げました。ロトとの別れは彼にとって辛い経験でした。でも、神様への祈りと礼拝の中で、アブラハムは問題を、痛みを、悲しみを委ねていったのです。
 へブロンは「親密な交わり」という意味の場所です。マムレというのは、「強い」の意味があります。象徴的な地名ですね。神様と親しい交わりがある場所は「マムレ」、つまり強いのです。何はなくても、神様との交わりのある場所こそ、その人を強めていく場所なのです。
 そして、この後、聖書を読み進めていくとわかりますが、アブラハムはいつもロトの為に祈っていたようです。
 次回、お話しますが、14章では、ロトが地域の王たちの戦いに巻き込まれて、家族や財産も奪われるという大事件が起こったのです。それを知ったアブラハムは、命がけで奇襲作戦を敢行し、ロトたちを救出したのです。
 また18章を読むと、アブラハムは神の人に会い、ロトが住むソドムとゴモラが非常に悪に満ちた町になっていたので、神様から滅ぼされると聞いたのです。その時、アブラハムはロトのために、神の人に懇願します。「もしかしたら五十人の正しい者がいるかもしれません!」 すると神の人は、「その五十人のために町全部を赦そう」と言われたのです。「五十人に五人不足しているかもしれません。」「滅ぼすまい、その四五人のために。」「主よ、三十人ではどうでしょう。いや二十人では? 十人では?」「滅ぼすまい、その十人のために」。
 もし、アブラハムがロトの事を全然考えていなければ、彼のために祈っていなければ、こんな訴えはしません。自分から離れていったロトのために、好き勝手に土地を選んだロトのために、命の危険をおかしてまでロトを救出したアブラハムは、ロトの最善をいつも祈ることのできる者とされていったのです。
 アブラハムにとって、甥のロトとのことはつらい痛みの経験となりました。しかし、彼はそれを通してもまた主のために祭壇を築いたのです。彼の痛みが神様への祈り、礼拝へと向かわせたのです。また逆を言えば、礼拝が彼の痛みをゆだねる場所になっていったのです。
 私たちにもいろんな辛い経験があるかもしれません。それは、神様への祭壇を築くときでもあります。そして、「神様に祈り」「賛美をささげ」「聖書のことばをきく」、礼拝は私たちの苦労や困難、それにともなう痛みや苦しみをゆだねることができる場でもあるのです。そのような恵みの場所に私たち今、イエス様によって入れられています。その恵みを感謝し心にとめながら、この週もともに歩んでいきましょう。