城山キリスト教会夕拝説教
二〇二二年一一月二七日          豊村臨太郎牧師
聖書人物シリーズ15「アブラハム7−契約の再確認−」
創世記一七章一節〜一八章一五節
 
 1 アブラムが九十九歳になったとき【主】はアブラムに現れ、こう仰せられた。
  「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。
2 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたをおびただしくふやそう。」
3 アブラムは、ひれ伏した。神は彼に告げて仰せられた。
4 「わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。あなたは多くの国民の父となる。
5 あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。
6 わたしは、あなたの子孫をおびただしくふやし、あなたを幾つかの国民とする。あなたから、王たちが出て来よう。
7 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。
8 わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。」
 9 ついで、神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、あなたの後のあなたの子孫とともに、代々にわたり、わたしの契約を守らなければならない。
10 次のことが、わたしとあなたがたと、またあなたの後のあなたの子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい。
11 あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたの間の契約のしるしである。
12 あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に、割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、外国人から金で買い取られたあなたの子孫ではない者も。
13 あなたの家で生まれたしもべも、あなたが金で買い取った者も、必ず割礼を受けなければならない。わたしの契約は、永遠の契約として、あなたがたの肉の上にしるされなければならない。
14 包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、その民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったのである。」
 15 また、神はアブラハムに仰せられた。「あなたの妻サライのことだが、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。
16 わたしは彼女を祝福しよう。確かに、彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出て来る。」
17 アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか。」
18 そして、アブラハムは神に申し上げた。「どうかイシュマエルが、あなたの御前で生きながらえますように。」
19 すると神は仰せられた。「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしは彼とわたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。
20 イシュマエルについては、あなたの言うことを聞き入れた。確かに、わたしは彼を祝福し、彼の子孫をふやし、非常に多く増し加えよう。彼は十二人の族長たちを生む。わたしは彼を大いなる国民としよう。
21 しかしわたしは、来年の今ごろサラがあなたに産むイサクと、わたしの契約を立てる。」
 22 神はアブラハムと語り終えられると、彼から離れて上られた。
23 そこでアブラハムは、その子イシュマエルと家で生まれたしもべ、また金で買い取った者、アブラハムの家の人々のうちのすべての男子を集め、神が彼にお告げになったとおり、その日のうちに、彼らの包皮の肉を切り捨てた。
24 アブラハムが包皮の肉を切り捨てられたときは、九十九歳であった。
25 その子イシュマエルが包皮の肉を切り捨てられたときは、十三歳であった。
26 アブラハムとその子イシュマエルは、その日のうちに割礼を受けた。
27 彼の家の男たち、すなわち、家で生まれた奴隷、外国人から金で買い取った者もみな、彼といっしょに割礼を受けた。
第一八章
 1 主はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現れた。彼は日の暑いころ、天幕の入口にすわっていた。
2 彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼は、見るなり、彼らを迎えるために天幕の入口から走って行き、地にひれ伏して礼をした。
3 そして言った。「ご主人。お気に召すなら、どうか、あなたのしもべのところを素通りなさらないでください。
4 少しばかりの水を持って来させますから、あなたがたの足を洗い、この木の下でお休みください。
5 私は少し食べ物を持ってまいります。それで元気を取り戻してください。それから、旅を続けられるように。せっかく、あなたがたのしもべのところをお通りになるのですから。」彼らは答えた。「あなたの言ったとおりにしてください。」
6 そこで、アブラハムは天幕のサラのところに急いで戻って、言った。「早く、三セアの上等の小麦粉をこねて、パン菓子を作っておくれ。」
7 そしてアブラハムは牛のところに走って行き、柔らかくて、おいしそうな子牛を取り、若い者に渡した。若い者は手早くそれを料理した。
8 それからアブラハムは、凝乳と牛乳と、それに、料理した子牛を持って来て、彼らの前に供えた。彼は、木の下で彼らに給仕をしていた。こうして彼らは食べた。
 9 彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻サラはどこにいますか。」それで「天幕の中にいます」と答えた。
10 するとひとりが言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」サラはその人のうしろの天幕の入口で、聞いていた。
11 アブラハムとサラは年を重ねて老人になっており、サラには普通の女にあることがすでに止まっていた。
12 それでサラは心の中で笑ってこう言った。「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」
13 そこで、【主】がアブラハムに仰せられた。「サラはなぜ『私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに』と言って笑うのか。
14 【主】に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」
15 サラは「私は笑いませんでした」と言って打ち消した。恐ろしかったのである。しかし主は仰せられた。「いや、確かにあなたは笑った。」
 
 先日、私は車(8年落ちの中古車)を購入したのですが、車を購入するときに欠かせないのは保険の加入ですね。万が一の為に私も任意保険に入りました。今は保険の加入もとても便利でネットですべて完了します。でも、大切な契約ですから一つ一つのプロセスの中で必ず確認があります。契約内容の選択、保証の範囲、住所、支払い方法の確認、クレジットカードであれば番号の入力、その度に必ず再確認があります。重要な契約であればあるほど再確認があるわけです。
 これまでアブラハムの生涯を読んできましたが、神様は創世記12章でアブラハムに祝福のことばを語られました。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創12・1−3)
 このことばに応答したアブラハムはカナンの地に出発しました。そして、15章でさらに神様はアブラハムに夜空に輝く満天の星を見せて、「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさいあなたの子孫はこのようになる。」と約束し契約を結んで下さいました。アブラハムは主を信じ、主はそれを彼の義と認められましたね。にもかかわらず、17章から18章にかけて、神様はアブラハムに契約の再確認をしてくださったのです。アブラハムが99歳、カナンに入ってから24年たった時です。神様はこうおっしゃいました。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたをおびただしくふやそう。」(創17・1−2)
 「全能の神」は、「エル・シャダイ」ということばです。「エル」は「神」、「シャダイ」は「乳房」という意味のことばで、そこから「力」「祝福を注ぎ出す」という意味があります。「アブラハムよ。力と祝福の源であるわたしがともにいる「全き者」でありなさい。」という語りかけです。しかし、これは、けして「あなた自身が完全でありなさい」ということではありません。「あなたは弱くても、失敗があっても、『全能で、完全な』わたしを信頼して生きていきなさい。わたしが、あなたと結んだ『わたしの契約』を必ず成就するから」という、神様の励ましのことばです。
 このように神様はアブラハムに契約の確認をしてくださいました。今日は、その「契約の再確認」として、三つのことを学んでいきましょう。
 
1 改名
 
 一つは改名です。神様は「アブラム」から「アブラハム」に、妻の「サライ」を「サラ」と新しい名前を与えてくださいました。「あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。」(創17・5)「あなたの妻サライのことだが、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出て来る。」(創17・15−16)と約束してくださったのです。
 「アブラハム」という名前には「多くの国民の父」という意味があります。「サラ」は「国々の母」「王女」という意味です。神様は「アブラム」には「アブラハム」(多くの国民の父)、サラには「王女、国々の母」という新しい名前が与え、「わたしが約束した通り、あなたは多くの国民の父となる。祝福のもととなる。」と語ってくださったのです。
 しかし、どうして、「契約の再確認」が「改名」だったのでしょうか。聖書で「名」は、その人そのものを表します。名前が変わるというのは形式的なことでだけではなくて、その人の内容も変化するということが表されています。つまり、神様がアブラハムの新しい名前を与えてくださったのは、神様ご自身が彼を変えてくださって、神様の祝福のもといとして生かしてくださっていることが表されているのです。
 神様がその人そのものを変化してくださるということには希望があります。人は自分で自分を変えることは難しいです。どんなに姓名判断をして改名をしたとしても、自分自身の本質は変えられません。でも、聖書は、神様があなたを変えてくださると語っています。自分で変えようとしても変えられない自分を神様があたらしくしてくださるのだと教えています。新約聖書の第二コリント書には素晴らしいことばがあります。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。これらのことはすべて、神から出ているのです。」(2コリント5・17−18)
 私たちがイエス・キリストを信じているということは、神様が私たちを新しくし祝福の中に生かしてくださり、イエス様が聖霊を通して内にすんでくださって、その祝福を人々にもたらすという新しい使命に生かしてくださっているのです。
 
2 割礼
 
 さあ、神様がアブラハムにしてくださった「契約の再確認」二つ目は「割礼」です。
 「次のことが、わたしとあなたがたと、またあなたの後のあなたの子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい。」(創17・10)
 割礼は男性性器の包皮を切り取る儀式です。これは、当時、この地方の民族的な風習でした。パレスチナ全土、またエジプトでもおこなわれていました。部族や種族の印としてとか、衛生上のことからであったとも言われています。いずれにせよ、当時、広く一般的におこなわれていたのですが、神様はその風習を活用されたのです。
 割礼の意味は「神の民である」ことの印でした。割礼によって、神様の恵みを身と心に明記することでした。同時に、神様との契約を思い起こすためのものでした。割礼の傷がある限り、神様との教えを思い出すことができます。申命記30章6節には、こう書かれています。「あなたの神、主は、あなたの心と、あなたの子孫の心を包む皮を切り捨てて、あなたが心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神、主を愛し、それであなたが生きるようにされる。」(申30・6)また、10節にも、こう書かれています。「これは、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従い、このみおしえの書にしるされている主の命令とおきてとを守り、心を尽くし、精神を尽くして、あなたの神、主に立ち返るからである。」つまり、割礼の意味と目的は、「主に立ち返り、主に信頼し、主を愛し、主のみことばに生きること」です。この時、アブラハムは主を信じて、神様の民として、愛と守りの中に生きていくことの証として割礼を受けたのです。
 しかし、割礼は決して救いの条件でありません。一つ確認しておきたい大切なことは、アブラハムは、神様に義と認められた(神様との愛と信頼の関係の中に入れられた)ことの「しるし」として割礼を受けたのであって、割礼はそのための「条件」ではありませんでした。新約聖書の中でパウロもいっていますね。「アブラハムが信仰によって義とみなされたのは、割礼を受ける前だったではありませんか。」と言っています。つまり、割礼がなくても、主なる神様を信じるだけで義とみなされるということです。」その印とし、割礼を受けたのです。
 では、今、私たちも義と認められている印として割礼を受ける必要があるのでしょうか。いいえ。そうではありません。パウロは、ガラテヤ書のなかで、「割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。」(ガラテヤ6・15)といいました。ここで言われている「新しい創造」というのは、イエス・キリストを信じて新しくされることです。先ほど第二コリント5章17節を読みましたが、「だれでもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」の「すべてが新しくなりました」という言葉は、「そこには新しい創造があります」と訳すことができます。コロサイ2章11節にも、「キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。」とはっきりと書かれています。
 キリストを信じて生きる人は皆、新しく創造された者なので、今、私たちは実際の割礼を受ける必要はないのです。イエス様を信じ新しくされ、その印として聖霊が住んでくださっているからです。聖霊は私たちに神様の民であることを思い起こさせてくださるお方だからです。
 
3 三人の人
 
 さあ、契約の再確認の出来事の三つ目は、実際に神の人がアブラハムに見える形で現れたことです。そして、「来年の今頃、イサクが生まれる」と約束してくださったのです。
 「主はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現れた。彼は日の暑いころ、天幕の入口にすわっていた。彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼は、見るなり、彼らを迎えるために天幕の入口から走って行き、地にひれ伏して礼をした。」(創18・1−2)
 焼け付くような夏の暑い日のことです。人も家畜も活気を失っていました。アブラハムは樫の木のそばにいたのです。何をしていたかというと、当時の習慣で昼寝をしていました。ふと、見上げると三人の人が彼にむかって立っていたのです。はっとしたアブラハムは、「しまった、だらしのない格好を見られてしまった…」と慌てて挨拶します。この三人は人の姿をとって訪れた主なる神様と二人の御使いでした。アブラハムは三人が高貴な客人だと直感的に感じたのでしょう。「ひれ伏して」挨拶しました。「どうか素通りなさらないでください、こんな暑い日です。私の家で休憩していください。食事のよういもします。」と引き止めます。当時は旅館などない、旅人をもてなすのは普通の習慣でした。アブラハムは彼らにご馳走を用意してもてなしました。
 すると、三人の客人がたずねました。「あなたの妻サラはどこに?」妻を名指しされたアブラハム。おどろいたでしょう。「はい。天幕におりますが…。」すると一人がいったのです。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」(創18・10)アブラハムも忘れかけていた跡継ぎのことをズバリと言ったのです。天幕で会話をこっそり聞いていたサラは心の中で笑いました。「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」(創18・12)でも、神様は、はっきりとアブラハムに言われたのです。「主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」(創18・14) 約束を忘れかけて諦めていたアブラハムに「契約の再確認」として、神様が直接、みことばをもって語ってくださったのです。アブラハムに与えられた「約束の再確認」は「主に不可能なことがあろうか。」という神様のみことばでした。そして、その通りに一年後イサクが与えられることになるのです。
 もうすぐクリスマスですけれども、ルカの福音書の中に、御使いガブリエルが処女マリヤにイエス様を身ごもることを告げるシーンがありますね。絵画でも有名な「受胎告知」のシーンです。御使いがマリヤにこういいました。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。」(ルカ1・31)マリヤはとまどいました。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」(ルカ1・34)御使いはなんといったでしょうか。「神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカ1・37)そして、そのことばの通りにイエス様は乙女マリヤからお生まれになりました。
 アブラハムに契約の再確認をし「わたしの約束は必ず実現する」と語ってくださった神様は、その出来事を通して、今、私たちに「神様の約束の確かさ」「聖書のことばの確かさ」を教えてくださっています。
 聖書には、私たちへの神様の愛と救いが約束されています。その具体的な現れであるイエス様の十字架と復活が書かれています。その一つ一つは確かなことばです。「神様にとって不可能なことは一つもない」からです。
 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。これらのことはすべて、神から出ているのです。」(2コリント5・17−18)このことばの通り、どんな人も、どんな過去があっても、イエス様を信じるものは新しくされます。「主に、不可能なことはない」からです。
 「あなたの神、主は…、あなたが心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神、主を愛し、それであなたが生きるようにされる」(申30・6)このことばの通りに神様は、私たちが神様を愛し、神様と一緒に生きることができると約束してくださっています。イエス様を信じる私たちの内に聖霊が住んでくださって、神様を愛して、神様の平安の中を生きる者と変えられています。なぜなら、「主に、不可能なことはない」からです。
 神様はみ言葉を通し、聖霊によって、私たちに何度も何度も語りかけ、その事実を思い出させてくださいます。その恵みに感謝しつつ、この週も歩んで参りましょう。