城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇一九年三月二四日         関根弘興牧師
                マルコ一五章一五節〜三二節
イエスの生涯53 
   「ゴルゴタへの道」

 15 それで、ピラトは群衆のきげんをとろうと思い、バラバを釈放した。そして、イエスをむち打って後、十字架につけるようにと引き渡した。16 兵士たちはイエスを、邸宅、すなわち総督官邸の中に連れて行き、全部隊を呼び集めた。17 そしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、18 それから、「ユダヤ人の王さま。ばんざい」と叫んであいさつをし始めた。19 また、葦の棒でイエスの頭をたたいたり、つばきをかけたり、ひざまずいて拝んだりしていた。20 彼らはイエスを嘲弄したあげく、その紫の衣を脱がせて、もとの着物をイエスに着せた。それから、イエスを十字架につけるために連れ出した。21 そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。22 そして、彼らはイエスをゴルゴタの場所(訳すと、「どくろ」の場所)へ連れて行った。23 そして彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしたが、イエスはお飲みにならなかった。24 それから、彼らは、イエスを十字架につけた。そして、だれが何を取るかをくじ引きで決めたうえで、イエスの着物を分けた。25 彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。26 イエスの罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。27 また彼らは、イエスとともにふたりの強盗を、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。29 道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。30 十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」31 また、祭司長たちも同じように、律法学者たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。「他人は救ったが、自分は救えない。32 キリスト、イスラエルの王さま。今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」また、イエスといっしょに十字架につけられた者たちもイエスをののしった。(新改訳聖書)


しばらくの間、イエス様が十字架へと向かって行かれる過程で起こった様々な出来事を聖書から見てきましたが、今日の箇所では、いよいよイエス様が十字架刑の判決を受け、処刑場であるゴルゴタという場所に引いていかれ、十字架につけられることになります。
 イエス様は、十字架刑を受けるようなことは何一つされませんでした。しかし、ユダヤの宗教家や最高議会の議員たちは、何とかイエスを死刑にしたいと願っていました。イエス様が、御自分を神の子キリストであると公言し、彼らの偽善や形式主義を厳しく批判なさっていたからです。
 彼らは、イエス様を宗教裁判にかけて神を冒涜している罪で死刑に値するという判決を下しました。さらに、自分たちでイエス様を石打ちの刑にするだけでは物足りず、当時ユダヤ地方を治めていたローマの総督ピラトのもとにイエス様を連れて行き、ローマの死刑方法である十字架刑を要求しました。
 ピラトは、彼らがイエス様に激しいねたみを感じて訴えてきたことに気づいていました。それに、イエス様には、ローマ法に照らして死刑に値する罪を見い出すことはできませんでした。ですから、「この人は、何の罪もない」「この人を十字架につける理由や原因はなにもない」と三度も繰り返して宣言したのです。また、過越の祭りの時には、犯罪人の一人に恩赦を与える習慣があったのでイエス様を恩赦の対象にしようと提案しました。しかし、宗教家たちに煽動された群衆は、「イエスではなくバラバを釈放しろ。イエスを十字架につけろ」と激しく叫び立てたのです。また、「このイエスは自分をユダヤ人の王だと言っている。ローマ皇帝への反逆罪だ。もし無罪にすれば、あなたもローマ皇帝への反逆者ということになるぞ」とピラトに迫ってきました。ピラトは、「もしここで暴動が起これば、自分が責任を取らされる。もしローマ皇帝への反逆罪で訴えられたら、自分は終わりだ」と考えたことでしょう。結局、ピラトは民の声に押され、イエス様を十字架につけるようにと引き渡してしまいました。
 十字架刑は、非常に残酷な処刑方法です。両手と足を太い釘で十字架に打ち付け、その釘の刺さった箇所だけで全体重を支えるのです。そして、死ぬまでそのままの状態が続くのです。数時間もの間、想像を絶するような激痛に耐え続けなければなりません。ですから、早く死ねるように十字架刑の前には囚人を徹底的に痛めつける慣習がありました。今日の箇所でも、ピラトは、「イエスをむち打って後、十字架につけるようにと引き渡した」と書かれていますね。
 総督官邸には、ローマの全部隊が集められました。何百人もの兵隊がイエス様を囲み、むち打ちを行ったのです。前回お話ししましたように、このむち打ちも非常に残酷なものでした。鉛や青銅や動物の骨がついたむちで打ち付けられた背中は、えぐり取られて、ざくろが割れたような状態になるのです。兵士たちは、イエス様を容赦なくむち打っただけでなく、紫の衣を着せ、いばらの冠をかぶせました。その地域のいばらのとげは、爪楊枝ほども長く、イエス様の頭に突き刺さりました。そして、彼らは、イエス様をからかい、嘲りました。「ユダヤ人の王様、万歳」と彼らは叫び、葦の棒でイエスの頭をたたき、唾をかけたのです。
 前回読んだヨハネの福音書では、それから、ピラトはイエス様を群衆の前に引き出したと書かれています。むち打たれ、いばらの冠をかぶせられ血を流す惨めなイエス様の姿を見れば、群衆の気が済むだろうとピラトは考えていたようです。しかし、結局、十字架刑は避けることはできませんでした。
 一方、マタイの福音書とマルコの福音書では、イエス様がむち打たれ、嘲られる一連の出来事を十字架刑の始まりとして記しています。
 兵士たちは、イエス様をさんざんもてあそんだ後、十字架につけるために連れ出しました。イエス様は、十字架を背負ってゴルゴタという処刑場まで歩んでいかれることになります。
 その道は、その後、「悲しみの道」(ラテン語で「ヴィア・ドロロサ」)と呼ばれるようになりました。約一キロほどの道ですが、今日は、この悲しみの道、すなわちゴルゴタへと向かう道すがら起こった出来事とイエス様が十字架につけらた光景を見ていきましょう。
十字架は、約四・五メートルの縦棒と二メートルの横棒を別々に運び、刑場で組み合わせることになっていました。囚人が担ぐのは横棒だけであったと言われていますが、横棒だけでも四十〜五十キロはあったのではないでしょうか。その重い十字架の木を背負って、イエス様は歩いていかれました。
考えてみてください。イエス様は、前日の夜、逮捕され、合計で六回もの審問を受けられました。一睡もされていなかったでしょう。そして、残酷なむち打ちによって背中は割れて血だらけです。その背に重い十字架を背負って歩いて行かねばならないのです。いばらの冠をかぶせられた頭からも血が流れ出ていたことでしょう。どんなに屈強な男でも、肉体的にはもう限界を超えている状態だったでしょう。イエス様は、道の途中で何度も何度も倒れては立ち上がり、容赦のない兵隊の罵声を浴びせられながら歩いていかれたことでしょう。その時でした。ローマ兵は、一人の男を無理矢理引っ張ってきて、イエス様の十字架を背負わせたのです。

1 クレネ人シモン

@エルサレムに来たシモン

 その男は、シモンという名のクレネ人でした。
 シモンは、ユダヤ人によくある名前です。クレネというのは、北アフリカのリビヤの海岸にあり、古代ギリシヤ人が建設した都市です。商業が盛んで、ユダヤ人も多く住んでいました。マルコは、わざわざ「いなかから出て来て」と書いていますから、シモンは、クレネ近郊のいなかに住んでいたのでしょう。
 ユダヤ人は世界各地に住んでいましたが、多くの人がエルサレムに巡礼にやってきました。特に、年に一度の最大のお祭りである過越の祭りの時には、世界中のユダヤ人たちがエルサレムに集まってきたのです。
 シモンも、遠く離れたクレネのいなかからはるばるエルサレムに巡礼に訪れました。たぶん一生に一度あるかないかの機会だったことでしょう。どれだけの費用がかかったことでしょう。しかし、彼は、なんとしてもエルサレムの神殿に、それも過越祭りの時に巡礼に行きたかったのです。エルサレムで、イスラエル民族のエジプト脱出を記念する過越の食事をすることは、長年の夢であったのでしょう。

A十字架を担がされたシモン

 しかし、彼が町に入ると、祭りのせいだけではない異様な熱気が、満ちていました。野次馬があふれ、罵声がとび、涙するものもあり、彼はそこでとんでもない光景を目撃するのです。それは、十字架を担いで処刑場に向かう三人の男たちでした。その中に、何度もよろめき倒れながら、そのたびに兵隊にむち打たれている男の姿がありました。もちろん、シモンには、それが誰なのかわかりません。せっかくエルサレムに巡礼に来たのに見たくないものを見てしまったと思ったかもしれません。 その時、突然、ローマ兵がシモンの腕をつかんで引きずり出し、「おい、お前。イエスの十字架を代わりに背負え!」と命令したのです。彼は「なんて運が悪いんだ!」と思ったに違いありません。「なんで私がこんな目に遭わなければないのか」という気持ちだったでしょう。突然の災難です。しかし、ローマ兵に逆らうことなどできません。いやいやながら十字架を背負ったのでしょう。周りの人目を考えてください。十字架を背負っていたら、人はどんな目で見るでしょう。「いやあ、あの人は立派な人だ」などとは誰も言いません。「あの十字架を担いでいる男はイエスの仲間か。どうしようもない奴だ」などとあざけられたかもしれません。彼は、必死で「私は何も関係ありません!」と説明したかったことでしょう。しかし、彼は、どうすることもできずに十字架を背負い、ゴルゴタに向かったのです。

Bその後のシモン

実は、このシモンについては、どの福音書を見ても、イエス様の代わりに十字架を担いだことしか書かれていません。ですから、彼がこの後どんな行動をとったのかはわかりません。
 ただ、今日の箇所には、このシモンが「アレキサンデルとルポスとの父」であると書かれていますね。ということは、このマルコの福音書を読んだ人たちの多くが、シモンの息子であるアレキサンデルとルポスという兄弟をよく知っていたということになりますね。
 また、このマルコの福音書は、ペテロの通訳者としてペテロと共に伝道旅行をしていたマルコがローマで書いたと言われていますから、この福音書の読者はローマにある教会と非常に密接につながっている人が多かったわけです。ということは、この二人の息子は、ローマの教会でよく知られていた人物ではないかと考えられるのです。
 そして、後にパウロがローマの教会に宛てて書いたローマ人への手紙16章13節には、こう記されています。「主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく。」このルポスがシモンの息子ルポスではないかと思われます。つまり、イエス様の十字架を背負ったシモンの息子であるルポスが、ローマ人への手紙が書かれた紀元56年頃にローマにおり、そのお母さん、つまりシモンの奥さんが、パウロを母親のように世話した人だったと考えられるのですね。シモンの奥さんと息子がローマ教会の重要なメンバーになっていたいうことでしょう。伝説によると、このルポスは、後にスペインの教会の監督になったということです。
 このことを考えると、シモンがエルサレムで十字架を無理矢理背負わされた出来事が、後に家族の救いにつながる恵みに変えられていったということになるわけですね。シモンは、最初は自分の身の不運を嘆いたかもしれません。しかし、十字架を背負ってゴルゴタの丘に向かうという経験を通して、人生が変えられていったのではないでしょうか。十字架を背負わされたシモンは、傍らを歩いておられるイエス様を見ながら次のように考えたのではないでしょうか。「このイエスとは一体何者なのだろう。大罪を犯したようにも見えないし、ののしられても、あざけられても、憎しみのまなざしを向けるわけでもない。いったいどういうお方なのだろう。」ゴルゴタの丘に着き、彼は、十字架につけられたイエス様の姿を見たことでしょう。十字架上でイエス様が言われた言葉を耳にしたことでしょう。それに、イエス様を十字架につけたローマの百人隊長が「この方はまことに神の子であった」(マルコ15章39節)と言うのを聞いて、シモン自身も同じような思いを持ったかもしれません。そして、イエス様を救い主として信じるようになり、信仰が家族にまで広がっていったのではないでしょうか。
 
2 十字架につけられるイエス様

 さて処刑場であるゴルゴタ(どくろ)という所に着くと、イエス様は十字架につけられました。
 ところで、不思議なことに、どの福音書もイエス様が十字架につける光景は、ごく短く淡々と記しているだけです。イエス様が両手両足を釘付けにされて苦しみもだえる様子や十字架上で激しい痛みに苦しんでおられる様子をこれでもかと言わんばかりに記述するようなことはしていません。
 後に弟子のトマスがイエス様が復活されたことを信じることができず、「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じない」と言っているので、イエス様が釘付けされたことがわかるのです。
 聖書は、イエス様の痛々しい苦しみの姿をこと細かく描くよりも、イエス様こそ旧約聖書で預言された正真正銘の救い主であることを私たちに示すことに重点に置いて書かれているのですね。ですから、私たちは、十字架の記事を読むときに、ただイエス様が苦しまれたということに心痛めて終わるのではなく、イエス様こそまことの救い主であることを認めることが大切なのです。
 今日の箇所では、イエス様を十字架につけた兵士たちや十字架を眺めている人々の無自覚な行動の中に、旧約聖書の救い主に関する預言が成就したということが記録されています。

@没薬を混ぜたぶどう酒

まず、23節に兵士たちが「没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとした」と書かれていますね。マタイの福音書では「苦みを混ぜたぶどう酒」と書かれています。
 うっかり見過ごしてしまうような記述ですが、実は、これは、詩篇69篇21節の「彼らは私の食物の代わりに、苦味を与え、私が渇いたときには酢を飲ませました」という預言が成就したことを示しているのです。詩篇69篇は、神様に信頼する詩人が、身内の者に裏切られた苦痛を歌った詩で、救い主の苦難を預言したものとして読まれていました。旧約聖書を知っている人なら誰でも知っている預言で、それがイエス様の十字架において成就したのです。

Aくじを引いて、イエスの衣を分けた。

 次に、24節に「兵士たちがくじを引いてイエス様の着物を分けた」と書かれています。これも、どうしても記さなければならないほどの重要な出来事とは思えませんね。しかし、四つの福音書すべてがこの出来事を記録しているのです。なぜなら、これも旧約聖書の救い主の預言が成就したことを示しているからです。詩篇22篇18節に「彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします」とありますが、その通りのことがイエス様の十字架において起こったのです。

B人々の罵倒

 それから、十字架につけられたイエス様に対して、人々は容赦ない罵倒を浴びせました。道を行く人々は、頭を振りながら「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。十字架から降りて来て、自分を救ってみろ」とののしりました。その中には、つい数日前、イエス様に「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に」と歓喜の声を上げていた人たちもいたはずです。
 また、ユダヤの宗教指導者たちも、「他人は救ったが、自分は救えない。十字架から降りてこい。われわれは、それを見たら信じるから」とイエス様をあざけりました。
 しかし、これも旧約聖書の預言の成就でした。詩篇22篇7節-8節の「私を見る者はみな、私をあざけります。彼らは口をとがらせ、頭を振ります。『主に身を任せよ。彼が助け出したらよい。彼に救い出させよ。彼のお気に入りなのだから。』」という言葉の通りのことが起こったのです。
 このようなイエス様に対するののしりの声は、イエス様がこの世に来られてから今に到るまで存在しています。「もしイエスが神の子なら、自分を救えたはずではないか。イエスが神の子なら何でも出来るはずではないか」というのです。
 イエス様は、公の活動を開始される前、四十日四十夜の断食をなさいました。その時、サタンがやってきてこう誘惑しましたね。「もしあなたが神の子なら、石をパンに変えて空腹を満たせばいいではないですか」「もしあなたが神の子なら、神殿の頂から下へ飛び降りてみなさい。神様がちゃんと助けてくださるでしょう」と。しかし、イエス様は、神の子としての立場や力を御自分のために自分勝手に用いることはなさいませんでした。神様のみこころに従って、すべての人の救いの道を備えることがイエス様の使命だったからです。
 イエス様は、神の本質を持っておられる方ですから、もちろん十字架から降りて御自分を救うこともできました。天使の大軍団を招集して、敵対する人々を蹴散らすこともおできになったでしょう。しかし、そうはなさいませんでした。なぜでしょうか。
 イエス様が私たちの罪をすべて背負って十字架にかかり、罪の贖いを成し遂げること、それこそ神様の御計画だったからです。イエス様は、その神様の御計画に従順に従われました。それは、私たち一人一人を愛しておられるからです。もし、イエス様が御自分を救うために十字架から降りてしまったら、私たちに救いはありません。イエス様を十字架上にとどめたのは、両手両足を貫いていた太い釘の力ではなく、私たちを救わずにはおれないイエス様の愛の力だったのです。
 ユダヤの宗教指導者たちは、図らずも「他人は救ったが、自分は救えない」とあざけりましたが、たしかにイエス様は、御自分を救うのではなく、他人を、そして、ここにいる一人一人を救うために十字架についてくださったのです。
 だから、イエス様こそ、誉め讃えられるべきまことの救い主です。「ユダヤ人の王」であるばかりか、すべての人の王なる方なのです。