城山キリスト教会 礼拝説教          
二〇二二年七月二四日              関根弘興牧師
             使徒の働き二三章一二節〜三五節
 使徒の働き連続説教34
    「神の守り」
 
 12 夜が明けると、ユダヤ人たちは徒党を組み、パウロを殺してしまうまでは飲み食いしないと誓い合った。13 この陰謀に加わった者は、四十人以上であった。14 彼らは、祭司長たち、長老たちのところに行って、こう言った。「私たちは、パウロを殺すまでは何も食べない、と堅く誓い合いました。15 そこで、今あなたがたは議会と組んで、パウロのことをもっと詳しく調べるふりをして、彼をあなたがたのところに連れて来るように千人隊長に願い出てください。私たちのほうでは、彼がそこに近づく前に殺す手はずにしています。」16 ところが、パウロの姉妹の子が、この待ち伏せのことを耳にし、兵営に入ってパウロにそれを知らせた。17 そこでパウロは、百人隊長のひとりを呼んで、「この青年を千人隊長のところに連れて行ってください。お伝えすることがありますから」と言った。18 百人隊長は、彼を連れて千人隊長のもとに行き、「囚人のパウロが私を呼んで、この青年があなたにお話しすることがあるので、あなたのところに連れて行くようにと頼みました」と言った。19 千人隊長は彼の手を取り、だれもいない所に連れて行って、「私に伝えたいことというのは何か」と尋ねた。20 すると彼はこう言った。「ユダヤ人たちは、パウロについてもっと詳しく調べようとしているかに見せかけて、あす、議会にパウロを連れて来てくださるように、あなたにお願いすることを申し合わせました。21 どうか、彼らの願いを聞き入れないでください。四十人以上の者が、パウロを殺すまでは飲み食いしない、と誓い合って、彼を待ち伏せしているのです。今、彼らは手はずを整えて、あなたの承諾を待っています。」22 そこで千人隊長は、「このことを私に知らせたことは、だれにも漏らすな」と命じて、その青年を帰らせた。23 そしてふたりの百人隊長を呼び、「今夜九時、カイザリヤに向けて出発できるように、歩兵二百人、騎兵七十人、槍兵二百人を整えよ」と言いつけた。24 また、パウロを乗せて無事に総督ペリクスのもとに送り届けるように、馬の用意もさせた。25 そして、次のような文面の手紙を書いた。26 「クラウデオ・ルシヤ、つつしんで総督ペリクス閣下にごあいさつ申し上げます。27 この者が、ユダヤ人に捕らえられ、まさに殺されようとしていたとき、彼がローマ市民であることを知りましたので、私は兵隊を率いて行って、彼を助け出しました。28 それから、どんな理由で彼が訴えられたかを知ろうと思い、彼をユダヤ人の議会に出頭させました。29 その結果、彼が訴えられているのは、ユダヤ人の律法に関する問題のためで、死刑や投獄に当たる罪はないことがわかりました。30 しかし、この者に対する陰謀があるという情報を得ましたので、私はただちに彼を閣下のもとにお送りし、訴える者たちには、閣下の前で彼のことを訴えるようにと言い渡しておきました。」31 そこで兵士たちは、命じられたとおりにパウロを引き取り、夜中にアンテパトリスまで連れて行き、32 翌日、騎兵たちにパウロの護送を任せて、兵営に帰った。33 騎兵たちは、カイザリヤに着き、総督に手紙を手渡して、パウロを引き合わせた。34 総督は手紙を読んでから、パウロに、どの州の者かと尋ね、キリキヤの出であることを知って、35 「あなたを訴える者が来てから、よく聞くことにしよう」と言った。そして、ヘロデの官邸に彼を守っておくように命じた。(新改訳聖書第三版)
 
 パウロは、第三回伝道旅行を終えた後、エルサレムにやって来ましたが、エルサレムで大騒動が起こってしまいました。
 パウロが聖なる神殿の中庭に異邦人を連れ込んでいると誤解したユダヤ人たちが、「こんな男は殺してしまえ」と騒ぎ立てたのです。ローマの治安部隊の千人隊長が駆けつけて、暴徒の中からパウロを連れ出して尋問しようとしましたが、パウロがローマ市民権を持っていることを知り、正式な裁判にかけることにしました。ただ、今回の騒動はユダヤ人の宗教に関することだったので、まず、ユダヤ人の最高議会を招集して、ユダヤ人たちがパウロを訴えている理由を確かめることにしたのです。 ユダヤ議会でのパウロの弁明は大変短いものでした。「兄弟たち。私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです」と語ったのです。議員たちは、宗教指導者でもありましたから、パウロは、単刀直入に、福音の最も本質的な問題を提示したのです。それは、「死者の復活」ということでした。
 パウロは、第一コリント15章13節ー14節でこう書いています。「もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。」
 「死者の復活」こそ、イエス・キリストの福音の土台となるものです。イエス様が復活されたからこそ、イエス様が本当に神から遣わされた救い主であることが証明されました。そして、その救い主の十字架によって私たちの罪が完全に贖われたことが証明されたのです。また、イエス様が復活されたからこそ、イエス様のすべてのことばが真実であることが証明され、イエス様の約束はすべて必ず実現すると確信することができます。また、イエス様が復活されたからこそ、私たちもいつか復活して永遠の御国で生きる希望を持つことができるのです。
 ところが、パウロのこのひとことで議会は大混乱になりました。復活はないと主張するサドカイ人と復活はあると主張するパリサイ人が激しい議論を始めたからです。そこで、千人隊長は、パウロをその場から力づくで引き出して兵営に連れて来るように命じました。
 エルサレムで起こった出来事を見ると、エルサレムでのパウロの伝道はうまくいかなかったように見えます。しかし、主は、パウロにこう言われました。「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」主は「あなたは、エルサレムでわたしのことをあかしした」と言われたのです。パウロの語った言葉、行動の一つ一つを、主は「わたしのことを証言してくれた」と評価してくださったのですね。
 そして、主は、パウロに「あなたは、ローマでもあかししなければならない」と言われましたね。そう言われても、パウロは今、エルサレムで捕らわれの身となり、とてもローマに行けそうな状態ではありません。でも、主は、何かをお命じになるときには、それを行うために必要なすべてのことを備えてくださるのです。パウロは、それをよく知っていましたから、主が必ずローマへの道を開いてくださり、ローマであかしができるようにしてくださると確信していました。
 今日の箇所から最後の28章までには、主がパウロをエルサレムからローマまで導いてくださった経緯が記録されています。その記録を読むと、パウロがローマにたどり着くまでに長い時間と紆余曲折があったことがわかります。そのことから、私たちは、大切ないくつかのことを学ぶことができるでしょう。
 一つは、主のみことばが実現するまで時間がかかることがあるということです。私たちは、神様が最善の時にみわざを行ってくださるのを忍耐を持って待つ必要があるのですね。
 もう一つは、神様御自身が、みことばを必ず実現してくださるということです。パウロは自分で無理矢理ローマに行こうとしたのではありません。実際、彼は捕らえられていましたから、自由にローマに行くことはできなかったのです。彼は、ただ神様が道を開いてくださることを信頼し、自分の置かれている状況の中で自分のできることをしていったのです。私たちも自分の力ではなく、神様の力に信頼してお任せすることが大切ですね。
 もう一つは、神様は、みこころを成しとげるために様々な出来事や人物をお使いになるということです。良い出来事も悪い出来事も、味方となってくれる人々も敵対する人々も、また私たちが自分で考えて発する言葉や行動も、神様はすべてを働かせてくださるのです。
 今日の箇所には、まずパウロがエルサレムからカイザリヤに移動することになったいきさつが書かれています。神様がどのように御計画を進めて行かれたのかを見ていきましょう。
 
1 人の計画
 
(1)ユダヤ人たちの計画
 
 パウロがユダヤ議会で弁明した翌日、四十人以上のユダヤ人たちが徒党を組み、パウロの暗殺を企てました。
 彼らは、祭司長たちと長老たちに協力を要請しました。祭司長や長老の多くはサドカイ派の人々でした。彼らは、死者の復活を信じておらず、クリスチャンたちは自分たちの特権や地位を脅かす存在だと考えていました。一方、彼らと対立するパリサイ派の人々は、死者の復活を信じ、パウロを擁護する人もいましたから、パウロ暗殺を企てた刺客たちは、パリサイ派ではなく、サドカイ派に暗殺計画を持ちかけたのでしょう。
 その暗殺計画の内容は、まず、サドカイ派の議員たちが「パウロをもっと詳しく調べよう」と議会に提案し、千人隊長にパウロを議会に連れてくるよう要請する、そして、パウロが議会に連れて来られる途中で暗殺する、というものでした。
 サドカイ派の議員たちは、その計画に協力することにしました。パウロは、前日、議会で大祭司に向かって「あなたは白く縫った壁だ」と言いましたね。表面は立派で正しく見えるが内側が腐っている偽善者だということです。律法を重んじるはずの人々が暗殺に協力するのですから、彼らはまさに「白く縫った壁」であることを自ら証明したわけですね。
 
(2)千人隊長の対応
 
 しかし、この陰謀をパウロの姉妹の子(甥)が知り、兵営にいるパウロに知らせました。パウロは捕らわれていましたが、面会はできたようですね。パウロは、すぐに百人隊長に頼んで甥を千人隊長のもとに連れて行ってもらい、千人隊長にも暗殺計画を知らせました。
 千人隊長は、甥の話を聞いて、ユダヤ議会からパウロを連れてくるよう要請を受ける前に、パウロを別の場所に移してしまおうと決断しました。いったん要請を受けてしまうと、断るのが難しくなり、面倒な問題になると思ったのでしょう。パウロが暗殺されて混乱が起こると、自分の責任になってしまいます。
 そこで、千人隊長は、その夜のうちにパウロをカイザリヤに連れて行くよう命令しました。しかも、千人いる部下のうちの半数近い約五百人の兵に護送させることにしたのです。いくらローマ市民権を持っていたパウロであっても、これほど多くの兵隊に護送されるというのは異例なことです。しかも、パウロは、安全のために馬に乗せてもらうことができたのです。
 道の途中のアンテパトリスに着くと、騎兵以外の兵はエルサレムに帰って行きました。ここからは異邦人居住地だったので、ユダヤ人の待ち伏せの危険は少なかったことと、また、ここからカイザリヤまでは四十キロほどでの平地で、奇襲しにくい道のりだったからです。そこから、パウロは七十人の騎兵に護送されてカイザリヤに到着しました。
 
(3)総督の判断
 
 カイザリヤは、地中海沿岸にある港町で、ユダヤ地方のローマ総督府となっていました。千人隊長は、パウロ護送にあたり、総督ペリクスに書簡を宛てています。その内容は、どのようなものだったかというと、「千人隊長である私が、ローマ市民権を持つ者の命を守り、不穏な陰謀を防ぎました。この者には死刑や投獄に当たる罪はないとわかりましたが、ユダヤ議会が訴えたいなら、総督閣下に正式に訴える出るようにと言い渡しておきました」という内容です。自分がこの騒動をうまく取り仕切って混乱を防いだと、手柄を誇っているような感じですね。
 その書簡を読んだペリクスは、訴える者たちが来るまでパウロをヘロデの官邸に滞在させることにしました。このヘロデの官邸というのは、ヘロデ王が建てたもので、当時は総督の官邸として使われていたものです。パウロは、そこに滞在し、そのあと、約二年もの間、幽閉されることになるのです。
 
2 神の守り
 
 さて、これまで使徒の働きを読んできて、神様が奇跡的なみわざを現して弟子たちを助け出してくださった出来事がいくつも出てきましたね。たとえば、5章で使徒たちが投獄されていたとき、主の使いが牢の戸を開いて彼らを連れ出してくださいました。また、12章でペテロが投獄されたときも主の使いが現れ、ペテロの鎖を解き、牢の戸を開いて脱出させてくださいました。16章では、パウロがピリピの町で投獄されたとき、突然、大地震が起こって獄舎のとびらが全部開き、鎖が解けてしまうという出来事が起こりました。神様が奇跡的な方法で守り助けてくださったのです。
 しかし、今日の箇所には、神様もイエス様も天使も出てきません。登場するのは、パウロ暗殺の陰謀を企てる刺客たちや、それに協力するユダヤ議会の面々、自分の保身や出世を考える千人隊長、キリストの教えに無関心な総督です。奇跡も起こっていません。ただ、暗殺者たちが企てた陰謀やそれに対抗するために千人隊長が考えた計画があっただけです。こういうところから説教することはなかなか難しいですね。
 しかし、だからといって今日の箇所に神様の助けがなかったのではありません。今日の出来事の一つ一つの中に、不思議な見えざる神様の支えがあったのです。
 旧約聖書の第二列王記6章にこんな出来事が記されています。敵国アラムの大軍が預言者エリシャの住む町を包囲し攻撃を仕掛けようとしたときのことでした。預言者エリシャの召使いが、自分たちを取り囲んでいる敵の大群を見て「ああ、ご主人さま。どうしたらよいのでしょう」と言うと、エリシャはこう答えました。「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」そして、エリシャが主に「どうぞ、彼の目を開いて見えるようにしてください」と祈ると、召使いの目が開かれ、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて守っている光景を見たのです。
 主の守りは、目に見えないことが多いでしょう。でも、神様は、確実に、全能の力をもって、様々な方法で私たちを守っていてくださいます。そして、「恐れるな。わたしがあなたとともにいる」と約束してくださっているのです。
 では、神様の守りがあることを知りつつ、私たちはどのように生きていけばいいのでしょうか。
 私たちは、「神様が守ってくださるから、自分勝手に何をしても大丈夫だ」というふうに考えてしまうことがあります。また、「神様が守ってくださるから、自分は何もしなくても大丈夫だ」と考えてしまうこともありますね。
 今日の箇所で、パウロが甥から暗殺計画を知らされたとき、こう言ったらどうでしょうか。「わざわざ来てくれてありがとう。でも心配することはないよ。私はクリスチャンだから神様が守ってくださるし、昨夜もキリストから『あなたはローマに行くことになっている』と言われたんだ。だから何もしなくて大丈夫。今日は来てくれてありがとう。帰ったら君も、教会にきちんと行きなさいね。」これこそ模範的な揺るぎない信仰を持っている人の応答だと思いませんか。パウロが語るにふさわしい応答だと思えますね。
 しかし、パウロはそのようには言いませんでした。パウロは、すぐに千人隊長に知らせるという、いたって常識的な応答をしたのです。それは、パウロが神様の守りを信じていなかったからでしょうか。急に弱気になって、人間的な対策を取らなければと考えたのでしょうか。違います。人間の一つ一つの判断や行動の中にも神様の時にかなった配慮と導きがあることをパウロは当たり前のように知っていたからです。
 パウロは、いつも死の危険を顧みず、主の導きに従って行動していました。そして、いつも主の助けと守りがあることを信じていました。しかし、だからといって、今回のような常識的な判断と行動を忘れることはなかったのです。
 たとえば、私たちは主イエス様が病を癒やしてくださるお方であると信じます。ですから、癒やしのために祈ります。しかし、「癒やしのために祈ったから、病院にはいきません、薬も飲みなせん、イエス様が癒やしてくださると信じていますから」というのは、バランスの崩れた信仰なのです。なぜなら、神様が今ある医療も含めて全領域に渡って守ってくださることを信じていないことになるからです。
 また、試験のために一生懸命祈っても、試験勉強をしないなら、結果はどうみても悪いに決まっています。
 ある牧師がこう言っていました。「私は説教の準備はしません。神様がその時々に語らせてくださるから、人間的な準備は要らないんです」と。皆さん、その姿は百パーセント聖書から逸脱していきます。
 信仰生活は、魔法のランプを使う生活ではありません。神様の守りは、私たちに都合のいいように与えられるのではありません。私たちが神様を愛し、神様に従っていきたいと願い、自分に与えられた状況の中で、自分なりの判断をし、自分の出来ることをしていく中で、神様は道を開き、みわざを行ってくださるのです。私たちが神様の守りを信頼して歩んでいくとき、日常の些細な出来事を通して、また、クリスチャンであるかないかにかかわらず様々な出会いを通して、また、困難や失敗や苦しみと思われることを通しても、神様の助けと守りがもたらされることを知っておくことは、とても大切なことです。
 神を愛する人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを信頼して、落ち着いて日常生活を送っていこうではありませんか。
 パウロは、甥から聞いた暗殺計画を千人隊長に伝えた結果、軍隊に守られて無事にエルサレムを脱出することができました。約五百人の兵士に守られたパウロに暗殺者たちは手出しをすることができませんでした。ここに神様の具体的な守りを見ることができます。
 私たちは、不思議なみわざや奇跡が起こることを信じていますが、そればかり追い求めていると躓いてしまいます。過去に奇跡的なことを経験したからといって、同じようにならないこともたくさんあります。常識的な判断をもって行動する中で、神様が最善へと導いてくださることも数多くあることを知っておきましょう。また、信仰持っているから助けも助言もいらないということではなく、信仰持っているからこそ、いろいろな人の助けや助言やさまざまな出来事の中に、神の支えと守りがあることを知ることが大切です。「神様だけを頼っているから助けはいらない」というのは、一見、信仰深そうに見えますが、そうではありません。神様は「互いに愛し合い、助け合いなさい」とお命じになっています。ひとりで抱え込むのではなく、必要な助けを求め、分かち合い、それぞれができることをしていきながら、ともに進んでいきましょう。
 そして、現実の生活の中で、詩篇34篇7節の言葉を信頼して生きていきましょう。「主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。」