城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇二三年四月三〇日            関根弘興牧師
               第一列王記四章二九節〜三四節
               
 列王記連続説教1
   「ソロモンの生涯」
 
4:29 神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた。
4:30 それでソロモンの知恵は、東のすべての人々の知恵と、エジプト人のすべての知恵とにまさっていた。
4:31 彼は、すべての人、すなわち、エズラフ人エタンや、ヘマンや、カルコルや、マホルの子ダルダよりも知恵があった。それで、彼の名声は周辺のすべての国々に広がった。
4:32 彼は三千の箴言を語り、彼の歌は一千五首もあった。
4:33 彼はレバノンの杉の木から、石垣に生えるヒソプに至るまでの草木について語り、獣や鳥やはうものや魚についても語った。4:34 ソロモンの知恵を聞くために、すべての国の人々や、彼の知恵のうわさを聞いた国のすべての王たちがやって来た。
(新改訳聖書第三版)
 
 前回は、ダビデの晩年を見ました。ダビデの後、誰が王になるのかを巡っては、ダビデの兄弟の様々な争いが起こりました。しかし、ついにソロモンが王に即位したのです。ソロモンは父ダビデが言い残したとおり、不穏分子であった将軍ヨアブとシムイを討ち取らせ、王国は確立していきました。そして、ソロモンはまずギブオンにいって全焼のいけにえをささげたのです。
口語訳聖書では「燔祭」共同訳「焼き尽くす献げ物」二〇一七版「全焼のささげもの」と訳されています。この「全焼のいけにえ」ということが旧約聖書の中で初めて登場するのは創世記8章です。ノアの箱舟の出来事を覚えていますか。神様が大洪水を起こし箱舟に乗ったノア立ち家族が助けだされた話です。箱舟から外に出たノアは、新たな出発に先立ち、礼拝をささげその中で「全焼のいけにえ」を献げたのです。この言葉の語源は「上る」という意味のことばです。ですから、動物を焼き尽して、煙として主のもとへ立ち上らせるものでした。ですからこの全焼のいけにえを通して、「神様、私のこれからの生涯をあなたにゆだねます。神様との正しい関係の中を歩んでいきます。お受け取りください」という信仰の告白の姿があったのです。
 
1.ギブオン
 
 ソロモンは、これから国を治めていこうとするとき、まずこの全焼のいけにえをささげることからはじめて行きました。彼はギブオンにある祭壇に行きました。当時、このギブオンには、昔モーセによってエジプトから脱出したとき、荒野を旅する中で作らせた主の幕屋があり、そこに祭壇が置かれていました。以前、サムエルの時代には、この幕屋は、契約の箱と共に、シロにありましたね。しかし、契約の箱がペリシテ人に奪われたあと、シロはペリシテの攻撃を受け陥落し、この幕屋はギブオンに移されていたようです。そして、契約の箱は、ペリシテ人に奪われたあと、災いをもたらすこの箱はイスラエルに帰したほうが良いということで、長い間アブナタブの家に安置されていました。しかし、その後、ダビデがエルサレムに契約の箱を運び、天幕を張ってその中に安置したのです。ですからこの時は、エルサレムには契約の箱が置かれている天幕があり、ギブオンには主の幕屋と祭壇が置かれていました。そして、前回の話にあったとおり、ダビデが晩年、主のみこころに損ない人口調査を行ったことによって、大きな痛みを国中に引き起こしてしまいました。そこで、預言者によって示され、エブス人アラウナの打ち場に、主のために祭壇を築いたのです。ここが後に神殿が建てられる場所になっていたのです。 この時、ソロモンは、ギブオンにある祭壇に行き、なんと一千頭の全焼のいけにえを献げたと書かれています。誇張した表現でしょうが、多くのいけにを献げ、新しい王国のスタートとしたのです。すると、主は夢の中でソロモンに現れこう仰せられました。「あなたに何を与えうか。願え。」と。あなたなら何を願いますか?ソロモンはこう応答しました。3章7節-9節「わが神、主よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも、彼らはあまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」
 すると、神様は「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。」と約束されました。そして、富も誉れもあたえようと夢の中で約束されたのです。ソロモンは目を覚ますと、今度は、ギブオンからエルサレムに向かい、父ダビデが運び天幕に安置されていた契約の箱の前に立ちました。そして、全焼のいけにえと和解のいけにえを献げました。この和解のいけにえは、すべては神の恵みに対する感謝と賛美を現すいけにえでした。口語訳聖書では「酬恩祭」と訳されています。和解のいけにえは、まず、いけにえの脂肪を祭壇で焼いて神にささげ、胸とももは祭司が、残りのものは礼拝者が食べるという儀式でした。神様を中心とした者たちの食卓での喜びと交わりが現されるものでした。ですから、ソロモンは、このあとすべての家来たちを招いて祝宴を開いたのです。ソロモンの出発は、このように大変謙遜なものでした。
 
2.ソロモンの知恵
 
 ソロモンは神様に願ったとおり、に非常に豊かな知恵と英知が与えらました。その知恵がどれほどのものかを紹介する出来事が聖書には紹介されています。
 二人の遊女がソロモンのもとにやって来ました。子供のことで争っていいました。片方の女性がいいました。「王様、私たちは二人同じ屋根の下で暮らしているのですが、私は最近子供を産みました。そして、その後三日目にこの女もまた子を産んだのです。ところが、この女が寝ている間に自分の子どもに覆いかぶさってしまったため、この女の子供は夜中に窒息して死んでしまいました。するとあろうことか、この女は夜中の間にこっそり私の子を取って自分のそばに寝かせ、死んだ子を私の腕に抱かせのたです。そして、朝、私が起きて子供に乳を飲ませようとすると、子供が死んでいるのに気づいたのです。でも
よく見ると、私の子ではありませんでした。」すると、もう一人の女性が言いました。「違いますよ。死んだのはあなたの子供で、生きているのが私の子供よ」
 こうして、二人の女性はお互いに、「生きているのは自分の子供で、死んだのはあなたの子供」だとお互いに言い張り、一歩も引きませんでした。この解決をするのはなかなか難しいですね。なぜなら、この争いは二人だけの間で起こったものであり、目撃者がいないのですから、迷宮入りしそうですね。
そこで、この話をじっと聞いていたソロモンは、こう言いました。「剣をここに持って来なさい」そして、「生きている子どもを二つに断ち切り、半分をこちらに、半分をそちらに与えなさい。」こう言ったのです。これを聞いた周りの人たちは、耳を疑ったと思います。そして、ソロモンは気でも狂ってしまったかと思ったことでしょうね。さあこの命令が出されると、一人の女性が心を引き裂かれるような思いで言いました。
「わが君。どうか、その生きている子をあの女にあげてください。決してその子を殺さないでください。」と。しかし、もうひとりの女性は「それを私のものにも、あなたのものにもしないで、断ち切ってください」と言ったのです。そこで、ソロモンは「生きている子どもを初めの女に与えなさい。決してその子を殺してはならない。彼女がその子の母親なのだ。」と判断をくだしたのです。ソロモンは、本物の母親なら自分の子供の所有権よりも、その命を優先するはずだと見抜いていたのです。
 こうして、見事に二人の女性の争いを裁いたソロモンは、国民たちから恐れ敬われるようになったのです。ちなみに、日本にも非常に良く似たお話がありましたね。大岡裁きの1つにありました。大岡越前は時代劇の定番ですね。俳優の加藤剛が大岡越前役をずっとしていましたね。大岡裁きのなかにも、ソロモンの審判とそっくりなものがあります。唯一違うのは、子供の腕を両側から引っ張らせるという点で、子供が「痛い」と泣き叫ぶのを聞いて、先に手を離したほうが母親だと見切ったという話です。この話は、今日のソロモンの話ととても似ているので、聖書のストーリーが中国に伝わり、それが日本に伝わってこの話ができたのではないかと言われることがあります。しかし、真意のほどは定かではありません。いずれにしろソロモンのこうした知恵はまたたくまに近隣の諸国にまで伝わっていったのです。
 
 そして、ソロモンは、行政手腕を発揮していきました。全土を12の行政区分に分割し、新たな組織を作り、国はまたたくまに安定していったのです。4章20節には「ユダとイスラエルの人口は、海辺の砂のように多くなり、彼らは飲み食いして楽しんでいた。」また25節には「ユダとイスラエルは、ソロモンの治世中、ダンからベエル・シェバまで、みな、おのおの自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下で安心して住むことができた。」と書かれています。ソロモンは、その豊かな知恵と判断力によって、国は豊かに潤い、平和がもたらされていきました。
 
3.神殿の建築
 
 ソロモンは国を大きく成長させていった王として名をはせていきましたが、父ダビデから告げられた大切な使命がありました。それは神殿を建築することでした。ダビデは存命中、神殿建築のために様々な物を用意していました。
T歴代 22章5節「『わが子ソロモンは、まだ若く力もない。主のために建てる宮は、全地の名となり栄えとなるように大いなるものとしなければならない。それで私は、そのために用意をしておく。』こうして、ダビデは彼が死ぬ前に多くの用意をしておいた。」とあるとおりです。こうした多くの準備があり、ソロモンは、王となって4年目に神殿建築に着手しました。そして、およそ7年の歳月を費やしついに神殿が完成したのです。神殿が完成すると、多くの民が集まりました。そしてソロモンは、祭司やレビ人たちによって、契約の箱を、そして、ギブオンにあった会見の天幕とその中にあったすべての用具を運び入れました。それは感動的な光景となったのです。U歴代誌5章12節-14節「また、歌うたいであるレビ人全員も、すなわち、アサフもヘマンもエドトンも彼らの子らも彼らの兄弟たちも、白亜麻布を身にまとい、シンバル、十弦の琴および立琴を手にして、祭壇の東側に立ち、百二十人の祭司たちも彼らとともにいて、ラッパを吹き鳴らしていた──
ラッパを吹き鳴らす者、歌うたいたちが、まるでひとりででもあるかのように一致して歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパとシンバルとさまざまの楽器をかなでて声をあげ、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と主に向かって賛美した。そのとき、その宮、すなわち主の宮は雲で満ちた。祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。主の栄光が神の宮に満ちたからである。」と書かれています。
 昔エジプトを脱出したモーセが神様に示され作った幕屋は、会見の天幕は、神様がこの場所に住み、共に歩もうと約束されて作られたものでした。その幕屋が完成したとき何が起こったか、こう書かれています。出40章34節「そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。モーセは会見の天幕に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。」と。ソロモンも他の神殿に仕える者たちも、昔モーセの時代に起こったこうした光景をこれまで経験したことがなかったでしょう。しかし、いま、神殿が完成し、契約の箱が運ばれ、聖歌隊が主をほめたたえ賛美していると、圧倒的な主の臨在に覆われ、主の栄光が満ちあふれていきました。そして、ソロモンは、全集団に向かってに祭壇の前に立ち、両手を天に差し伸べて祈り始めました。
1)あなたのような神は他にいません。
 
 ソロモンはまず最初に神様がどのような方かを告白します。8章23節「イスラエルの神、主。上は天、下は地にも、あなたのような神はほかにありません。あなたは、心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と愛とを守られる方です。
 
二)約束されたことを必ず守られるお方です。
 
8章24節「あなたは、約束されたことを、あなたのしもべ、私の父ダビデのために守られました。それゆえ、あなたは御口をもって語られました。また御手をもって、これを今日のように、成し遂げられました。・・・ 今、イスラエルの神。どうかあなたのしもべ、私の父ダビデに約束されたみことばが堅く立てられますように。」神様はご自分が約束されたことを必ず守られるお方ですと、告白したのです。
 
三)あなたは祈りを聞いてくださる方です。
 
8章27節-28節「それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。けれども、あなたのしもべの祈りと願いに御顔を向けてください。私の神、主よ。あなたのしもべが、きょう、御前にささげる叫びと祈りを聞いてください。」と祈りました。
 ソロモンは、自分がどれほどの財を費やし建築した神殿であっても、偉大な神様をそこに入れることなどできない、と告白しました。でも、宮は、神様が「わたしの名をそこに置く」と言われた場所です。ですから、ソロモンは、これから様々な困難や罪の故に苦しんだり、迷ったりしたとき、この場所でささげる祈りを主が聞いてくださり、赦しと解決の道を備えてくださるようにと祈り求めたんです。
 
 神様はこのソロモンの祈りに対して、こうお答えになりましT列王9章3節-4節「あなたがわたしの前で願った祈りと願いをわたしは聞いた。わたしは、あなたがわたしの名をとこしえまでもここに置くために建てたこの宮を聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。」と言われました。しかし、9章6節-7節には「もし、あなたがたとあなたがたの子孫が、わたしにそむいて従わず、あなたがたに授けたわたしの命令とわたしのおきてとを守らず、行ってほかの神々に仕え、これを拝むなら、 わたしが彼らに与えた地の面から、イスラエルを断ち、わたしがわたしの名のために聖別した宮を、わたしの前から投げ捨てよう。こうして、イスラエルはすべての国々の民の間で、物笑いとなり、なぶりものとなろう。」と言われ、主に背を向けて生きているなら、この宮もいつかは廃墟となると語られたのです。
 
 このようにソロモンは、神殿を建て、与えられた知恵によって、国は大いに発展し拡大していきました。「ソロモンの栄華」と言われるほどになっていったのです。彼はまた自分自身の宮殿建築のためには大きな財を投入しました。神殿建築は7年の歳月がかかりましたが、宮殿を作るには贅の限りを尽くし13年の歳月をかけ建築したのです。ソロモンの栄華は、近隣諸国の羨望の的になっていきました。あふれるほどの金が入ってきました。ソロモンの名声を聞いたシェバの女王がはるばる遠方からやってきて、ソロモンの知恵を聞き、宮殿の豪華さを見て、息も止まるほどだった、と書かれるほどです。U歴代誌9章22節「ソロモン王は、富と知恵とにおいて、地上のどの王よりもまさっていた。」と書かれているほどです。
 
4 ソロモンの晩年
 
 今日読んだ、4章29節「神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた。」とありますね。広い心と訳される言葉は、文字通りここでは良い意味でソロモンに対して使われているのですが、この同じ言葉が悪い意味でも使われているのです。
詩篇101篇5節「陰で自分の隣人をそしる者を私は滅ぼします。高ぶる目とおごる心に耐えることはできません。」この「おごる心」は「広い心」と同じです。また別の所では「思い上がった心」とも訳されています。ソロモンは神様に知恵をすばらしい判断力を与えられ、大きな事業をしました。しかし、はじめは良い意味での「広い心」を持っていたソロモンでしたが、富と名声が増え、あふれるばかりの賞賛の中で、いつしか「広い心」が「おごり、たかぶり、思い上がりの心」に変容してしまったのです。
 T列王記 11章1節「ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。・・・・彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた。」と書かれています。何でも手に入るソロモンでした。ソロモンの治政の初期の頃には政略結婚もあったでしょう。しかし、いつしかソロモンは他国のたくさんの女性に囲まれる生活となっていきました。そして、11章4節には「ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けた」とのです。神殿が完成したとき、主に従います、と告白し、どうぞ祈りに応えてください、と祈り求めたソロモンの姿はこのときにはどこかに失われてしまいました。それどころか、ソロモンは、他の神々のためにエルサレムの東にある山の上に高き所を築いたのです。そんなソロモンに対して「主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現れ、このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。」
と書かれています。
 聖書はソロモンに対して「彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。・・・父ダビデのようには、主に従い通さなかった」と書かれています。
 
 ソロモンの生涯は、私たちに信仰に生きることは、一生涯んことであることの大切さを教えられます。神殿が完成したときのソロモンの祈りは素晴らしいものでした。彼はたくさんの箴言をしるしました。また神殿の栄光にまみえる経験は天にも昇る光景だったでしょう。しかし、どんなに天にも昇るような経験をしたとしても、信仰が生涯に渡るものでないならむなしいのです。
 私たちは、大いに知恵を、判断力を祈り求めていくことは大切です。でもどんなにその知恵がすばらしいと周りから賞賛されても、イエスキリストの知恵に勝るものはありません。
 
ロサイ2章3節「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。」
 
 私たちは、このイエス様から、生きる知恵を、判断力をいただきながら、主がここにいてくださることを覚え歩んでいきましょう。