城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇二二年一〇月三〇日           豊村臨太郎牧師
            マルコの福音書一五章一六〜三二節
                  
 マルコの福音書連続説教23
 「イエス・キリストの十字架」
 
 16 兵士たちはイエスを、邸宅、すなわち総督官邸の中に連れて行き、全部隊を呼び集めた。
17 そしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、
18 それから、「ユダヤ人の王さま。ばんざい」と叫んであいさつをし始めた。
19 また、葦の棒でイエスの頭をたたいたり、つばきをかけたり、ひざまずいて拝んだりしていた。
20 彼らはイエスを嘲弄したあげく、その紫の衣を脱がせて、もとの着物をイエスに着せた。それから、イエスを十字架につけるために連れ出した。
 21 そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。
 22 そして、彼らはイエスをゴルゴタの場所(訳すと、「どくろ」の場所)へ連れて行った。
23 そして彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしたが、イエスはお飲みにならなかった。
24 それから、彼らは、イエスを十字架につけた。そして、だれが何を取るかをくじ引きで決めたうえで、イエスの着物を分けた。
25 彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。
26 イエスの罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。
27 また彼らは、イエスとともにふたりの強盗を、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。
29 道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。
30 十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」
31 また、祭司長たちも同じように、律法学者たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。「他人は救ったが、自分は救えない。
32 キリスト、イスラエルの王さま。今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」また、イエスといっしょに十字架につけられた者たちもイエスをののしった。
 
 前回、私たちはイエス様がローマ総督ピラトのもとでお受けになった審問を読みました。
 この時、ユダヤの宗教指導者たちは、イエス様をなんとしても十字架につけて殺したいと考えて、総督ピラトもとに連れていって訴えたのです。ピラトはイエス様を審問しましたが、何の罪も見当たりませんでした。「この男に罪はない。ローマ法では裁けない。」そのようにユダヤの指導者たちに伝えるのですが、諦めない彼らは民衆を扇動して「イエスを十字架につけよ!イエスを十字架につけよ!」と叫ばせます。さらには「ピラトよ、もし、自分のことをを王と言っているこのイエスを擁護するなら、あなたもローマの反逆者ですよ。」そのようにピラトを脅しました。
 民衆の暴動とローマへの密告を恐れたピラトは自己保身にはしりました。イエス様は無実であると判断したにもかかわらず、「イエスを十字架につけよ」と宣告し、兵士たちに引き渡してしまったのです。
 
1 兵士たちのあざけり
 
 さて、その後、イエス様はローマの兵士たちによって総督ピラトの官邸の中に連れて行かれました。マルコの福音書15章16節には、「全部隊を呼び集めた。」(マルコ15・16)と、記されていますが、この「部隊」は、大体600人ほどの兵力でした。過越の祭りの間、エルサレムの治安を守る為にカイザリヤからピラトに同行してきた兵士たちです。
 600人はすごい人数ですね。ピラトの官邸の中がとても広かったのでしょうか。それとも、中庭のような場所だったのかもしれません。いずれにせよ大人数の兵士たちが集まって、イエス様を取り囲むようにしてあざけり始めたのです。
 この兵士たちは、カイザリヤからエルサレムまで任務の為にやってきた兵士たちですから、過越の祭りの期間、緊張感を強いられていたでしょう。そんな彼らにとって有罪判決を受けたイエスという男をいたぶるのは、丁度いい気晴らしのようなものでした。「こいつは、これから死刑になる男だ。いたぶってやろう」「自分を王と言ったそうだな。それなら王様にふさわしい格好をしてもらなければいけないな。」ふざけた戴冠式のパロディーが始まりました。
 
 (1)紫の衣(緋色の上着)
 
 兵士たちがまず何をしたのかというと、イエス様の着物を剥ぎ取って「紫の衣」を着せたのです。マタイの福音書には「緋色の上着」と書いてあります。おそらく、当時の兵士たちが着ていた赤い外套、マントでしょう。それを皇帝の衣装にみたたてイエス様に着せたのです。この時のイエス様は鞭で打たれていましたから血だらけだったでしょう。その痛々しい背中に、薄汚れた赤い外套が着せられたのです。
 
 (2)いばらの冠
 
 次に、彼らは「王冠」に模した「いばらの冠」をイエス様にかぶせました。当時、この地域に生えていた「いばらのトゲ」は、どのようなものだったと想像されますか。爪楊枝ほども長かったのです。それをイエス様の頭に突き刺さしたのです。イエス様の額からは血がしたたりおちました。
 
 (3)「王様。万歳!」
 
 さらに、兵士たちは「王様。万歳。」と叫びました。まるで皇帝にひざまずくように、イエス様を拝むふりをして笑いものにしました。ひざまずいたかと思えば、今度は立ち上がってイエス様の頭を棒で殴り、顔につばを吐きかけて、徹底的に馬鹿にして嘲ったのです。
 600人もの兵士たちがイエス様をさんざんもて遊び、その後、緋色の衣を剥ぎ取ってもとの着物を着せました。そして、十字架につけるためにイエス様を官邸から連れ出したのです。イエス様はゴルゴタという処刑場まで歩んで行かれることになります。
 
2  ゴルゴタ(処刑場)への道
 
 イエス様が歩まれた、エルサレムからゴルゴタという処刑場までは約一キロほどの道のりでした。十字架は、およそ四・五メートルの縦棒と二メートルの横棒を別々に運び、刑場で組み合わせることになっていたそうです。
 
 (1)十字架を背負って
 
 囚人が担ぐのは横棒だけだったと言われていますが、横棒だけでも四十〜五十キロはありました。重い十字架の木を背負ってイエス様は処刑場まで歩いていかれました。
 少し思い出していただきたいのは、イエス様は前日の夜にゲッセマネの園で逮捕されてから、夜中から明け方まで六回もの審問を受けられました。一睡もしていなかったはずです。ピラトの審問の時には、彼の命令でむち打たれましたから、イエス様の背中は傷だらけでした。当時のローマのむち打ちは、鞭の先端に動物の骨や金属などが付けられていました。鞭で打たれる度に肉がさけ背中は血だらけでした。
 その背に重い十字架を背負って歩いて行かねばならないのです。おそらく道の途中で何度も何度も倒れては立ち上がり、進まれたことでしょう。そのたびに兵士たちはイエス様に「さっさと歩け!」と罵声を浴びせ鞭で打ったでしょう。イエス様はなかなか前に進むことができません。進もうとしても、何度も何度も立ち止まられたでしょう。
 そんなイエス様を見て兵士たちは、「これでは処刑場に着くまでに時間がかかりすぎてしまう」「何かいい方法はないか」と考え始めました。するとその時です。ローマ兵が道を通りがかった一人の男を見つけました。その男を無理矢理引っ張ってきて、イエス様の十字架を背負わせたのです。「クレネ人シモン」という人でした。
 
 (2)クレネ人シモン
 
 「シモン」という名前は当時のユダヤ人によくある名前ですから、彼がクレネに住んでいたユダヤ人だったということが分かります。クレネは北アフリカのリビヤの海岸にある町です。エルサレムまで直線距離で1200キロ以上あります。商業が盛んで町でユダヤ人も多く住んでいました。マルコはわざわざ「いなかから出て来て」と書いていますから、シモンはクレネ近郊の田舎に住んでいたのでしょう。
 彼は年に一度の最大のお祭りである過越の祭りに、遠く離れたクレネの田舎からはるばる都エルサレムに巡礼に訪れました。彼にとって一生に一度あるかないかの機会だったことでしょう。時間を作り費用を工面して、シモンはいよいよ念願のエルサレムにやってきたのです。
 朝早くエルサレムについたのか、それとも前日に到着し、一晩エルサレム郊外に泊まっていたのか、シモンはドキドキわくわくしながら町に入りました。すごい熱気に包まれています。 「やっぱり、都は違うな。過越の祭りだからかな。でも、待てよ、何だか様子がおかしいぞ」人々の野次や罵声、また中には涙する人々もいました。よく見ると苦しそうに十字架を担いで道を歩いていく一人の男がいました。何度もよろめきながら進んでは倒れ、進んでは倒れる男性です。「十字架を担いでいるな。どんな悪いことをした人だろうか。」すると、いきなりローマ兵に腕を捕まれたのです。そして、命令されました。「おい、お前!こいつの代わりに十字架を背負え!」シモンは思ったでしょう。「なんで、俺が、これから過越の祭りなのに…」でも、問答無用、ローマ兵に逆らうことなんてできません。渋々、イエス様の十字架を背負ってゴルゴタの丘に向かわざるえませんでした。
 この「クレネ人シモン」がこの後どうなったのかは、聖書には書かれていないので分かりません。イエス様の代わりに十字架を担いだ事以外には聖書には記されていません。でも、後の彼の歩みを考えることができる、手がかりが聖書には二つ記されています。
 
 @「アレキサンデルとルポスの父」(マルコ15・21)
 
 マルコはわざわざシモンのことを「アレキサンデルとルポスの父」とよんでいます。それはおそらく、マルコの福音書を読んだ当時の人たちの多くが、イエス様の十字架を担いだクレネ人シモンの子「アレキサンデルとルポス」のことを知っていたからだと思います。
 では、マルコの福音書を読んだ人は、どんな人たちだったかというと、マルコはローマの教会にあてて書かれたと考えられています。ですから、クレネ人シモンの息子たちはローマ教会のクリスチャンたちによく知られていた人物だったのでしょう。
 
 A「主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく。」
 
 そして、パウロが書いた ローマ人への手紙16章13節 には、「主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく。」と書かれています。つまり、イエス様の十字架を背負ったシモンの息子であるルポスが、パウロが手紙を書いた頃にローマにいて、そのお母さん、つまりクレネ人シモンの妻もいたということです。しかも、パウロはクレネ人シモンの妻のことを「母」と呼ぶほど親しくしていた、クレネ人シモンの妻も、子どもたちもローマ教会のクリスチャンだったと考えられるのですね。
 シモンにとって、イエス様の十字架を無理矢理背負わされた事は「なんでこんなこと」と思うような事でした。でも、その「背負わされた十字架」が、彼自身を「救いの十字架」へと導いたと言えるのではないでしょうか。この出来事が、後に彼自身がイエス様を信じることにつながり、彼の家族もまた、イエス様の救いを受け取る、恵みの出来事になったと考えることができるのです。
 
3 イエス・キリストの十字架
 
 さて、イエス様は処刑場に着くと、ローマ兵によって十字架につけられました。
 皆さん、福音書をお読みになって不思議に感じられるかもしれません。聖書は十字架刑に付けられるその描写はあまり詳しく記していません。むしろ、淡々とイエス様が十字架につけられたという事実が記されています。
 十字架刑というのは、本当に残酷な刑でした。生きたまま囚人の手と足と釘付けにしてぶら下げて、できる限り苦痛を与える刑です。簡単に死ぬことができない長い時間、苦痛にあえぎ、亡くなるのに何日もかかる刑でした。でも、マルコはそのようなイエス様の苦しみを詳しく描写するのではなくて、別のことを記しています。三つのことが書かれています。
 @「兵士が没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとした」
 A「兵士たちがくじを引いてイエス様の衣を分けた」
 B「人々がイエス様に罵声を浴びせた」
 マルコはどうしてこの三つを記したのでしょうか。それは、この三つのことは、すべて旧約聖書で預言されていることばだからです。
 「没薬を混ぜたぶどう酒をイエス様に飲ませようとした」ことは、詩篇69篇21節の「彼らは私の食物の代わりに、苦味を与え、私が渇いたときには酢を飲ませました」という預言の成就です。
 「兵士たちがくじを引いて衣をわけた」ことは、詩篇22篇18節に「彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします」とある通りのことがイエス様の十字架において起こったのです。
 また「人々がイエス様に罵声を浴びせた」ことも、詩篇22篇7節の「私を見る者はみな、私をあざけります。」という言葉の通りのことが起こったのです。
 つまり、なぜ、マルコが十字架のむごたらしさを、イエス様が痛む姿を詳しく描写するのではなくて、この三つのことを書いたのかというと、イエス様の十字架は、神様がすべての人を救うためにご計画されたものであり、神様が聖書で約束してくださった預言の成就だからです。マルコはその事を伝えているのです。
 それではなぜイエス・キリストは十字架につけられなければならなかったのでしょうか。どうして、罪のないお方が十字架について血を流してくださったのでしょう。
 それは「罪からくる報酬は死です」(ローマ6・23)とあるように、聖書は、私たち人間は神様に背を向け、神様との関係が壊れてしまっている「罪の状態」にあると教えます。そして、その罪を持ったままでは最終的に死をうけなればならないと教えています。さらに、ヘブル9章22節には「血を流すことがなければ、罪の赦しはありません」(ヘブル9・22)と書かれています。だから、旧約聖書の時代は沢山の動物が犠牲になって、罪のゆるしと、罪からのきよめの儀式がおこなわれました。身代わりとして多くの血が流されたのです。
 では、今、礼拝の度に私たちも動物を献げて殺さなければならないのでしょうか。あるいは、私たち自身が血を流さなければならないのでしょうか。
 けして、そうではなくて神様の愛はそうさせなかったのです。罪の無いお方、イエス・キリストが私たちの罪を全て背負って十字架についてくださいました。たった一度、完全なささげ物として、ご自分が十字架について血を流してくださったのです。私たちの罪を赦し完全な救いを与えるためです。
 だから、イエス・キリストの十字架には、神様の素晴らしい御計画と愛があらわされているのです。そして、イエス様も神様の御計画に従順に従われることを通して、私たちに愛を示してくださったのです。
 ヨハネの福音書15章でイエス様は、「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ15・13)とおっしゃいました。十字架は、イエス様の私たち一人一人への大きな愛があらわされています。
 イエス・キリストの十字架は聖書に記されているとおり成就しました。その聖書のことばをただ信じる者は救われるのです。今、私たちは、神様が与えてくださった聖書の確かさのゆえに、イエス・キリストの十字架を知り、ただ単純に信じる事によって、神様の救いの恵みにいれられているのです。
 今日は聖餐式があります。イエス様の十字架の恵みを覚えながら、感謝しつつ聖餐にあずかりましょう。