城山キリスト教会夕拝説教
二〇二二年九月一一日            豊村臨太郎牧師
聖書人物シリーズ10「アブラハム2−初めの場所へ−」
創世記一二章一〇節〜一三章四節
 
 10 さて、この地にはききんがあったので、アブラムはエジプトのほうにしばらく滞在するために、下って行った。この地のききんは激しかったからである。
11 彼はエジプトに近づき、そこに入ろうとするとき、妻のサライに言った。「聞いておくれ。あなたが見目麗しい女だということを私は知っている。
12 エジプト人は、あなたを見るようになると、この女は彼の妻だと言って、私を殺すが、あなたは生かしておくだろう。
13 どうか、私の妹だと言ってくれ。そうすれば、あなたのおかげで私にも良くしてくれ、あなたのおかげで私は生きのびるだろう。」
14 アブラムがエジプトに入って行くと、エジプト人は、その女が非常に美しいのを見た。
15 パロの高官たちが彼女を見て、パロに彼女を推賞したので、彼女はパロの宮廷に召し入れられた。
16 パロは彼女のために、アブラムによくしてやり、それでアブラムは羊の群れ、牛の群れ、ろば、それに男女の奴隷、雌ろば、らくだを所有するようになった。
17 しかし、主はアブラムの妻サライのことで、パロと、その家をひどい災害で痛めつけた。
18 そこでパロはアブラムを呼び寄せて言った。「あなたは私にいったい何ということをしたのか。なぜ彼女があなたの妻であることを、告げなかったのか。
19 なぜ彼女があなたの妹だと言ったのか。だから、私は彼女を私の妻として召し入れていた。しかし、さあ今、あなたの妻を連れて行きなさい。」
20 パロはアブラムについて部下に命じた。彼らは彼を、彼の妻と、彼のすべての所有物とともに送り出した。
 1 それで、アブラムは、エジプトを出て、ネゲブに上った。彼と、妻のサライと、すべての所有物と、ロトもいっしょであった。
 2 アブラムは家畜と銀と金とに非常に富んでいた。
3 彼はネゲブから旅を続けて、ベテルまで、すなわち、ベテルとアイの間で、初めに天幕を張った所まで来た。
4 そこは彼が以前に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは、主の御名によって祈った。
 
 聖書人物シリーズの第10回目です。前回からアブラハムを紹介しています。
 今日の話を進める前に、アブラハムの名前のことを説明しておきます。今日読んだ聖書箇所ではアブラムと書いてありますが、時々アブラハムと呼んでしまうことがあります。実は、しばらく後にアブラムは、神様からアブラハムと改名されます。また、妻のサライはサラと改名されます。ですから、改名された後の名前で呼ぶのが一般的ですので、今日もアブラハムでお話を進めさせていただきます。
 さて、前回はアブラハムがハランで、神様から「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創12・2―3)ということばを聞き再出発した出来事から学びました。
 この再出発はアブラハムにとって、いままで自分を守ってくれると思われていたものから離れて、「私の助けは、主よ。あなたから来るのです。」そのように信じて歩むことが試される決断でした。そして、アブラハムは約束の地カナンに入ると祭壇を築き、神様を礼拝する歩みをスタートさせていったのです。
 
1 カナンでの最初の試練
 
 さて、約束の地カナンに入ったアブラハムに最初の試練が訪れます。どんな試練だったか、聖書にはこう書いてあります。
 さて、この地にはききんがあったので、アブラムはエジプトのほうにしばらく滞在するために、下って行った。この地のききんは激しかったからである(創世記12・10)
 カナンの地に激しい飢饉が起こったのです。アブラハムは長旅の末、カナンの地に入りました。「これからどんな生活が待っているのだろう。」期待があったでしょう。神様から祝福の基となると約束されていたわけですから、「きっとすばらしいことがこの先、待っているに違いない」と考えるのは自然なことです。「すばらしい潤いのある土地に神様は導いて下さるぞ。葡萄が実り、果実が豊富に穫れて、穀物は有り余るほど、家畜のための牧草はたっぷりだ。」そんな思いを抱いていたかもしれませんね。
 でも、約束に地に入るやいなや彼が経験したのは激しい飢饉だったのです。「神様、祝福を味わうどころか、いきなり試練じゃないですか。」そんな叫びが聞こえてきそうです。
 私たちも似たような経験をすることがありますね。「イエス様を信じてクリスチャンになったのに、なんでこんな苦しいことが起こるのですか。」そんな風に言いたくなることもあります。
 でも、旧約聖書の申命記にはこういうことばがあります。あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを、知らなければならない。あなたの神、主が、あなたを良い地に導き入れようとしておられるからである。(申命記8・5、7)
 神様は私たちを愛してくださっています。聖書は、その愛には、私たちの成長を促すための訓練も含まれるのですよと教えています。実際、この試練によってアブラハムの弱さや未熟さがあらわにされていきます。そして、神様はこの体験を通しても、アブラハムを訓練し成長させてくださるのです。
 さて、カナンの地で飢饉に見舞われたアブラハムにはいくつかの選択があったと思います。
 1つは、約束の地カナンにとどまることです。神様が祝福してくださるというのだから大丈夫だ。ここにとどまろう。そいって動かないという選択です。
 2つ目は、神様に祈って、神様からの答えをいただいてから行動するという選択です。これまではそうでしたね。アブラハムは神様のことばを聞いて従ってきました。また、祭壇を築き、神様を礼拝し祈りながら進んできました。
 3つ目は、神様に祈ることをせずに自分の考えだけで動くということです。そして、この時のアブラハムは、何故か3番目を選んだのです。これまでは、神様の指示を待って歩みを進めてきたのに、何故かこの時は「背に腹はかえられない」と思ったのか、あっさりと食糧が豊富なエジプトへ下ってしまったのです。
 ひょっとするとこの時のアブラハムの心には、神様に対する失望があったのかもしれません。約束の地に入ったので、ここからは自分の力で進もうと思ったのかもしれません。いぜれにせよ「祭壇を築いた」とか「神様に祈った」ということが一切記されていないのです。アブラハムが自分の判断のみ、自分の感覚のみで動いてしまったことがわかります。
 
2 エジプトへの道中
 
 さあ、エジプトへと旅だったアブラハムですが、当時、カナンの地があるパレスチナ地方で飢饉があると、食糧が豊富にあるチグリス・ユーフラテス側流域もしくはナイル側流域のエジプトに行ったようです。アブラハムは南のエジプトに向かいました。その道中、彼が感じていたことがありました。恐れです。何を恐れはじめたのでしょう。
 
 (1)アブラハムの恐れ
 
 妻のサラのことです。彼女はとっても美人だったのです。ちなみにこの時のサラの年齢は65歳です。65歳を越えても、尚、「見目麗しい」と表現され、夫に心配されるほどの美人だったということですね。
 アブラハムは考えました。「サラは美しい。きっと、エジプトの男どもは黙ってはいない。自分は殺されるのではないだろうか。」最初は小さな不安だったのかもしれません。でも、次第に不安が増幅し、恐れへと変わり、いのちの危険を感じるまでになったのです。
 
 (2)アブラハムの策略
 
 そんな中で彼は名案を思い付いたのです。「そうだ。サラに自分の妻を妹だと言わせよう。」これは、まんざら嘘ではありませんでした。妻のサラはアブラハムと母親が同じ異母妹だったのです。だから、妹であることは事実です。しかし、今は夫婦の関係です。半分だけ本当なのです。
 アブラハムは、そのように自分の身の安全だけを考え始めました。そして、サラにこう言いました。
「聞いておくれ。あなたが見目麗しい女だということを私は知っている。エジプト人は、あなたを見るようになると、この女は彼の妻だと言って、私を殺すが、あなたは生かしておくだろう。どうか、私の妹だと言ってくれ。そうすれば、あなたのおかげで私にも良くしてくれ、あなたのおかげで私は生きのびるだろう。」(創12・11−13)
 ひどいですね。サラはどんな気持ちだったしょう。ショックだったと思います。
 もしかしたら、これは冗談半分の上で、「サラよ、もしものことがあったら、妹でも言ってくれれば(じっさい嘘ではないし)、僕も君の美貌のために、得することもあるかもなぁ」と、軽口をたたいたのかもしれません。サラの方も、「まさか、本当にそうはならないでしょう」と、たかをくくって「その時は、そうしてあげますわ」と、軽く受けたのかもしれません。
 しかし、エジプトに着くとそれが冗談どころか現実のことになってしまったのです。
 
3 エジプトでの出来事
 
 (1)サラが宮廷に
 
 アブラムがエジプトに入って行くと、エジプト人は、その女が非常に美しいのを見た。パロの高官たちが彼女を見て、パロに彼女を推賞したので、彼女はパロの宮廷に召し入れられた。パロは彼女のために、アブラムによくしてやり、それでアブラムは羊の群れ、牛の群れ、ろば、それに男女の奴隷、雌ろば、らくだを所有するようになった。(創12・14-16)
 
 エジプトでサラを見たパロの高官たちが、その美貌を見てパロの妻として推賞したのです。あれよあれよという間に、サラは宮殿に召し入れられてしまいました。その見返り(おそらく花嫁料でしょう)として、アブラハムは宮廷から莫大な富を得たのです。
 アブラハムはもうお手上げです。「ああ、とんでもないことになってしまった。どうしたらいいだろうか。このままでは、サラはパロの側室の一人になってしまう。でも、贈り物も受け取ってしまった。もうどうしようもない。」きっと頭を抱えたでしょう。
 
 (2)神様の介入
 
 でも、神様はいつも真実なお方です。「主は真実である」とあるとおり、アブラハムへの約束を守ってくださるお方です。「主はアブラムの妻サライのことで、パロと、その家をひどい災害で痛めつけた」(創12・17)
 「ひどい災害」おそらく、疫病をパロの王宮で次から次へとおこされたのです。パロは、「いったいどういうことだ!何が起こった。考えて見れば、あの女が来てからだ。不吉な女だ!」と思ったのでしょう。おそらく、サラも自分の素性を明かす機会を得たのでしょう。アブラハムが王宮に呼ばれました。「お前は、なぜ、彼女があなたの妻であることを告げなかったのか。なぜ妹だなんて言ったのか。さあ、今、あなたの妻を連れ出しなさい。」(創12・18−19)
 そう言ってパロは、アブラハムたちをエジプトから追い出したのです。間一髪でした。このまま時間が経てば、サラは二度とアブラハムに返されなかったでしょう。真実な神様の介入によって、エジプトから脱出することができのたのです。
 この出来事からも、私たちは人の愚かさに勝る、神様のご計画の確かさを知ることができます。
 
4 はじめの場所へ
 
 さあ、エジプトを出た後、アブラハムがどこへ向かったかというと、初めの場所へ戻ったのです。
それで、アブラムは、エジプトを出て、ネゲブに上った。彼と、妻のサライと、すべての所有物と、ロトもいっしょであった。アブラムは家畜と銀と金とに非常に富んでいた。彼はネゲブから旅を続けて、ベテルまで、すなわち、ベテルとアイの間で、初めに天幕を張った所まで来た。そこは彼が以前に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは、主の御名によって祈った。(創13・1−4)
 エジプトからネゲブ、そして、ベテルとアイの間、つまり、カナンの地に入って最初に天幕をはった場所にもどったのです。そこは、彼が祭壇を築いた場所です。その初めの場所にもどって、彼は「主の御名によって祈った」のです。
 つまり、アブラハムの祈りが礼拝が回復されたということです。自分の感覚や考えだけでなく、神様の御声に耳を傾ける歩みが回復されたのです。まさに「初めの場所」、原点に戻ることができたのです。
 
 今日の出来事を通して、私たちいくつかのことを心に留めたいですね。
 
 (1)人生には試練がある
 
 私たちの人生には、それぞれに苦しいことや辛いこと、試練があります。イエス様を信じて「感謝だな。祝福だな」と感じることももちろんあります。でも、同時に苦しみを味わうこともあります。「神様、なんでこんなことがあるんでしょうか。話が違うじゃないですか。」そう叫びたくなることもあります。 でも、それらを通して自分の姿があわらにされます。弱さや未熟さに気づかされます。恐れやすい自分。自己中心になってしまう自分。時に愚かなことをしてしまう自分。でも、神様はそれら全てをご存じで、私たちを愛し守ってくださるお方です。そして、試練を通して神様は私たちを成長させてくださるのです。
 第一ペテロ1章7節にはこのように書かれています。「あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。」(1ペテロ1・7)
 先ほど読んだ申命記の通りです。「あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを、知らなければならない。あなたの神、主が、あなたを良い地に導き入れようとしておられるからである。」(申命記8・5、7)
 
 (2)脱出の道がある
 
 2つ目は、試練と共に脱出の道が備えられているということです。エジプトに行ったアブラハムは、自分勝手に進みました。それでは、エジプトで神様の介在はなかったのでしょうか。いいえ、ありましたね。ギリギリのところでアブラハムとサラをエジプトから脱出させてくださいました。
 神様はアブラハムを見放して、別の人を選んだりはなさいませんでした。アブラハムに与えた約束を成就するために神様ご自身が働いてくださいました。神様は、ご自分がお選びになった民に対して、最期まで責任を取ってくださいます。たとえ私たちの状況が変わったとしても、真実に導びいてくださるのが私たちが信じている神様です。
 
 (3)何度でも立ち返ることができる
 
 アブラハムはエジプトでの出来事を通して、神様の導きを再度確信していきました。アブラハムのように何度でも神様の元に立ち返ればよいのです。
 アブラハムは祈りの祭壇を築き直しました。この後の生涯で、何度も何度も節目で祭壇をつくるのです。失敗を通して祈りが回復され、礼拝が深められて、神様の約束の確かさを味わっていくのですね。
 今も、神様は聖書を通して語りかけてくださるだけでなく、私たちが経験する様々な出来事を通しても語りかけ、教えてくださるお方です。私たちがおかれている環境で、住んでいる町で、今という歴史の中で、真実に、愛をもって働いてくださる神様です。今週、私たちの周りの中で起こる一連の出来事の中にも、神様の愛の御手があります。その中に生かされていることを喜びながら、この週も歩んで参りましょう。