城山キリスト教会夕拝説教
二〇二二年七月一〇日            豊村臨太郎牧師
聖書人物シリーズ5「エノク」
創世記五章二一節〜二四節
 
 聖書人物シリーズの第四回目、今日は「エノク」という人を紹介します。聖書の中には、死なずに天国に行った人が二人しるされています。一人は列王記に登場する「エリヤ」という預言者です。この人については、いつかご紹介します。もう一人が今日の「エノク」です。
 創世記5章22節から24節には、エノクについて、次のように記されています。
 
21 エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。
22 エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。
23 エノクの一生は三百六十五年であった。
24 エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。(創5・22ー24)(新改訳聖書第三版)
 
 今日は、このエノクの姿からともに学んできましょう。
 
1 神を求めたエノク
 
 エノクが生きた時代は暗黒時代と呼べるものでした。カインから生まれた家系、前回学んだ「レメク」に代表されるように、神様に背を向けて歩む人々が増えていきました。その中で「セツ」のように神様に祈り、神様を礼拝する人もいたのですが、わずかでした。多くの人々は神様を無視し、人間の力のみに頼って歩んでいたのです。この後、大洪水で人々が滅ぼされなければならないほど、人々は悪が広がっていたのです。
 でも、そんな真っ暗な闇に星が輝くように、神様を求めたのが「エノク」だったのです。日本でも、クリスチャンは少数派ですね。イエス様を信じて生きる人はとっても少ないです。でも、神様がこの国に、この時代に私たちを生かしてくださいました。イエス様は「あなたがたは世の光です。地の塩です。」とおっしゃいました。「光であるわたしが、あなたがたの中に住んでいるから、あなたは光なのです。」そう語ってくださっています。
 また、エノクの家庭環境もけして単純なものではなかったと思われます。5章にはずっとアダムからの系図が書かれています。アダムは930歳までいきました。エノクが生まれた頃もまだ生きていたのです。この頃は現代よりもずっと長寿でした。まだ大洪水の前でしたから大気は澄んでいて、人間の遺伝子も傷ついていなかったと考えられます。エノクには父がいて、祖父がいて、曾祖父がいて、舅がいて小姑がいて、数え切れないほどの親戚がいて、家族親族ひしめく環境の中で生きていました。いろんな家庭問題も多かったと思います。
 そんな中で、彼が神様を求めるようになったきっかけは子どもの誕生を境にしてであったことがわかります。
 
エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。(創5・22)
 
 彼は、親になったときに神様と歩み出したのです。人生の大きな変化の中で神様を求めるようになったのです。あるクリスチャンの方の話を聞いたことがあります。その人は、初めての子が生まれた時に考えたそうです。「この子が大きくなって、『お父さんは何のために生きているのか』と聞かれたとき、自分はどう答えられるだろうか。親として子どもに答えることができなければならない」そして、キリストを信じたというのです。
 私たちのそれぞれの人生を考えても、子どもの誕生だけではなく、家庭環境の変化、転職や引越し、大きな変化を経験します。その中で「やっていけるだろうか」「自分では対処できないかもしれない」「自分のこれまでの経験や力だけでは限界だ」そんな風に感じることがありますね。エノクも人生の大きな変化の中で、そのような重圧を感じたのかも知れません。でも、それが「神様とともに歩む」きっかけになったのです。
 
2 神とともに歩んだエノク
 
 それでは、エノクが「神とともに歩んだ」というのは、どんな歩みだったでしょうか。
 
@「神様抜きの世界」と自分との間に線を引いた。
 
 カイン、そして、レメクからは「神様に背を向けた世界」が広がっていきました。「神様抜きの価値観」ですね。そこでは自分の強さが求められます。力によって奪い取る生き方へと進んで行きます。その行き着くところは、人を傷つけ、自分も滅びに向かって行く生き方です。新約聖書ユダ14節15節を読むと、エノクがそのような生き方に対して語った言葉が書かれています。
 
アダムから七代目のエノクも、彼らについて預言してこう言っています。『主は…すべての者にさばきを行い、不敬虔な者たちの、神を恐れずに犯した行為のいっさいと、また神を恐れない罪人どもが主に言い逆らった無礼のいっさいとについて、彼らを罪に定めるためである。(ユダ14-15)
 
 エノクの目には、神様に背を向ける人間の姿が見えていました。そして、その行き着くところには、きたるべき神様のさばきがあると警告しているのです。つまり、エノクは「神様抜きの世界」と自分に線を引いたと考えられます。
 
A自分の弱さを認め、神様に祈り礼拝し歩んだ。
 
 しかし、だからといって、エノクは「世捨て人になった」とは書いてありません。どこかで隠遁生活をしたとも書かれていません。彼は、自分が置かれた社会の中で、「神とともに歩み」ました。
 具体的に、どのように「歩んだ」のでしょう。以前、学んだ「アベル」と「セツ」の生き方にヒントがあります。アベルは、自分の人生を支えてくださるのは神様だと自覚し、神様に感謝を表しました。セツは「人間は弱いものだと」自分の弱さを認めました。そこから神様への祈りが礼拝が生まれていきました。エノクは、そんな彼らの生き方を伝え聞いていたでしょう。
 つまり、神様と共に歩む姿というのは、「神様、私は弱い存在です。助けてください。あなたの強さによって支えてください」「私の人生はあなたによって支えられています。感謝します。」そのように神様に祈りながら、神様を礼拝していきていくことです。
 
3 神に引き上げられたエノク
 
 そんなエノクを、ある日、神様が天に引き上げられたのです。ヘブル11章5節には、「信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。」
 エノクは「神様を無視する世界と価値観」の中に置かれながら、そのただ中にあっても神様に感謝し、神様に助けを求めながら生きていきました。その姿を神様は喜ばれたのです。
 彼のその姿から、神様が私たちに求めておられることはとってもシンプルだということがわかりますね。「神様、ありがとうございます。」そう、神様に感謝して生きることです。「神様、私は弱いです。助けてください。」そう、神様に助けを求めていきることです。そんな幼子のような信仰の歩みを神様は喜んでくださるのです。
 そして、私たちは、神様がエノクを天に引き上げてくださったことを通して知ることができます。それは、この地上で神様と共に歩む、その先には、確かに天国の希望があるということです。この地上で神様とともに生きる者は、やがて「天の御国」でも、神様とともに生きるようになるということを、エノクを通して私たちは知ることができます。
 もちろん、エノクはそのことを証する特別な例です。私たちがみんなエノクのように死なずに天国にいくわけではありません。やがて地上でのいのちを終える時があります。でも、イエス様はヨハネの福音書の中で、「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じるものは死んでもいきるのです。」(ヨハネ11・25)と語られました。イエス様を信じるものは、死んで終わりではなく、天の御国に入れられて神様と共に生きることができると、約束されています。
 以前、一人の高齢のクリスチャンの方のお話を聞いたことがあります。その方が牧師にこう言ったそうです。「先生、私は死んだあとのいのちがあるって知ったら、今のいのちも楽しくなった。」本当に感謝なことですね。私たちが「天国の希望」を知る時、地上の生活の中でも、喜び持つことができるのです。
 
 エノクは神様とともにに歩みました。「神様、この世にあって私は孤独です。弱い存在です。いろんな問題があります。重荷を感じています。どうか助けてください。」そう祈りつつ、「神様、私を支え守ってくださるあなたを信じ、あなたに感謝します。」そう主を礼拝して歩みました。
 今、イエス様を信じる私たちも同じですね。「神様、助けてください」と祈り、「神様感謝します。」と礼拝することができます。そして、そのような私たちの日々の歩みを神様は喜んでくださっているのです。
 そして、更に素晴らしいことに、イエス様はマタイ28章20節でこう約束してくださっていますね。「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28・20)
 私たちは「神様と共に歩みたい」と、願うわけですが、実はイエス様の方が、「わたしは、いつもあなたとともにいます。」と約束し、イエス様を信じる者の内におられる聖霊を通していつも一緒にいてくださいます。なんという恵みでしょうか。その恵みに感謝しつつ、この週も歩んで参りましょう。